山形 茂吉と芭蕉の旅 (2)金瓶 茂吉の生家 2008年7月20日(日) |
金瓶にある茂吉の生家については、既に2003年8月16日の紀行文で詳しく説明しました。 ここでは簡単に説明させていただきます。
生家の隣が茂吉も通った金瓶学校。 その向かいが八幡宮です。 金瓶学校の隣の宝泉寺で、茂吉は第四十世住職佐原窿応(りゅうおう)に習字や漢文などを学び、その教えは茂吉の精神形成に決定的な影響を及ぼしました。 宝泉寺には「茂吉之墓」があり、青山墓地と分骨されています。
金瓶の部落から橋を渡ります。 部落を振り返れば、後ろに龍山が聳えています。 そして右手には三吉山が見え、「をさなくて 見しごと峯の とがりをる 三吉山は 見れども飽かす」の看板が立っています。
橋を渡って左手に行くと、田んぼの中に母を火葬した「金瓶火葬場跡」があり、茂吉の歌碑が建っています。 「灰の中に母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり」 右の写真は蔵王と金瓶を撮ったつもりの写真ですが、あとでこの山が龍山だと知って愕然としました (^_^; 。
諦めきれずに、翌日に再アタックをしましたが、左の雲が少しかかった山が龍山、右手のとがった屋根が宝泉寺、そして中央の雲の中に蔵王があるそうです。 いつの日にかこの場所から、茂吉が子供の頃毎日眺めていた蔵王連峰を見てみたい、そして写真を撮ってみたいものです。
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