太宰治 新婚の甲府を巡る 09年7月19日(日) |
甲府駅北口は、大々的な改装工事が行われていました。 タクシーに乗って、太宰治の史跡を訪ねます。 しかし、この運転手さんが太宰のことを知らなくて、叱咤激励してお願いしながら (^_^ゞ、ゆかりの地を巡ってきました。
太宰治は昭和12年7月に最初の妻小山初代と離婚した後も、東京で乱れた生活を送っていました。 しかし井伏鱒二らの説得もあって、生活を立て直すことを決心し、太宰は昭和13年9月13日から同年11月15日までの約2ヶ月間、御坂峠の天下茶屋に滞在し、執筆に励みました。 太宰は同年(昭和13年)9月18日に甲府市在住の女子校教師、石原美知子と見合いをし、11月6日婚約披露。 昭和14年1月10日には、東京の井伏邸で結婚披露宴が執り行われました。 太宰は甲府市御崎町の借家で新婚生活を送りました。
太宰新婚の家は甲府駅の北東にあったそうです。 まず分かりやすいのが「喜久の湯」。 新居に風呂がなかった太宰は、毎日この浴場に通ったそうです。 建物は改装されているそうです。 「喜久の湯」の前の道を右方向にまっすぐ行くと、「新居跡の碑」があります。 太宰が一月に20円も酒を買っていたという窪田酒店は、今も営業しているようでした。 太宰夫妻は昭和14年9月1日 東京府三鷹村下連雀百十三番地に転居しました。
終戦間近の昭和20年4月2日未明 、太宰は三鷹で空襲に遭い、妻美知子の実家、甲府市水門町に疎開しました。 しかしその甲府でも、7月6日空襲に遭い、7月28日津軽に向かい、31日に実家の金木に到着しました。 |