武田勝頼夫人願文 & 武田八幡宮 09年7月19日(日)

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 僕は2002年4月に初めての甲府旅行をし、武田神社宝物館でたまたま「武田勝頼夫人願文」を読んで、その切々と綴られた文面にいたく心を打たれました。

 今回の旅行で、その「武田勝頼夫人願文」のコピーが売られているのを発見しました。
 買おうかなと思ったけれど、実寸大で大きく、これからの旅行で持ち運びが難しそう。
 悩んでいたら受付係に「写真に撮っていいよ」という優しい言葉を書けていただきました (^_^) 。



 天正3年(1575年)5月21日の長篠合戦で手痛い敗北を喫した武田勝頼は、甲相同盟を強化することを目的に、天正5年(1577年)1月22日に北条氏政の妹北条夫人(14歳)を娶りました。
 勝頼(32歳)には先妻(織田信長の養女)との間に、長男信勝(11歳?)がいました。

 天正6年(1578年)、上杉謙信死後の越後で「御館の乱」が勃発しました。
 勝頼は最初は夫人の兄である上杉景虎を支援していましたが、上杉景勝からの贈答品攻勢に負けて景虎を裏切り、景虎は自刃することになります。
 夫人の悲しみは如何ほどのものだったのでしょう。
 そして、実家の北条家とは冷たい関係になってしまいました。

 天正10年(1582年)2月1日、木曽義昌らの寝返りにより、織田・徳川連合軍は木曽路から甲斐に侵攻してきました。
 この報を受け、夫人は2月19日に武田八幡宮に願文を奉納しました。

 「うやまって申す 祈願の事」で始まり、「勝頼は代々守ってきたのに、裏切り者が出てきて国を悩ませています」「右の大願が成就すれば、勝頼と私はともに社殿を磨き、新しい回廊を建立します」などの文言が痛ましい限りです。


 2002年8月、僕はどうしても勝頼夫人願文の本物が見たくて、韮崎にある武田八幡宮に出かけました。
 武田八幡宮の境内には願文の石碑が建てられていました。

 で、神社の方に「願文の本物はどこにしまってあるのですか?」と聞いてみました。
 その方が申し訳なさそうに言うのには、「本物は甲府の武田神社に預かっているんです」。

 なるほどね~、あれが本物だったのか (@o@) 。
 ただならぬ文書だと思いましたよ (^_^; 。
 それで武田神社宝物館のパンフレットにも載っていないんですね。

武田八幡宮 夫人がかつて八幡宮から眺めた景色
勝頼夫人願文のレリーフ アップ
 
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