続・太宰治の『津軽』を巡る (1)木造・父親の生家 2009年9月20日(日) |
![]() 最初に書いておきますが、僕は太宰治の作品が嫌いで、『津軽』と『晩年』の一部しか読んだことがありません。 それなのにどうしてこんなに太宰の足跡を追っているのか、我ながら不思議です (^_^ゞ。 僕は2006年8月に太宰治の『津軽』を巡る旅をしました。 しかし、高流から岩木山を見ることが出来なかったし、まだまだ回っていないところがあります。 今年のシルバーウィークは五所川原に腰を落ち着けて、続編に挑戦してみました。 一生懸命まわったので、超大作になる予定です (^_^ゞ。 今回の旅行の最初は太宰治の父親の実家があった木造です。 太宰の父源右衛門は木造の名家松本家から津島家に婿に入ったのでした。 JR木造駅には巨大な遮光器土偶が取り付けられておりまして、愛称は「しゃこちゃん」。 遮光器土偶が発見された亀ケ岡遺跡には寄ってみる予定です。 街へ向かいながら、太宰が「もくぞうけいさつしょ」と読んだ木造警察署(今はつがる警察署)の写真を撮っていたら、通りかかったお巡りさんに「どうして警察署の写真を撮っているのか?」と尋問されました (@o@)。 僕 :ダ‥太宰治がこの道を通ったので‥‥ 巡査:それはご苦労様 と、ピンチを切り抜けました (^_^; 。
太宰は「木造はコモヒの町だ」と言っていますが、道に張り出した廊下のような「コモヒ」は、僅かに中心街に残っている程度です。 今では「黒石・こみせ通り」の方が有名でしょう。 『津軽』によれば、父の実家はM薬品問屋だそうですが、一体どこなのか分かりません。 道で立ち話をしている品の良いおじいさんに尋ねてみると、「松木さんの家はそこの郵便局にありました。大きい家で、いまでも思い出します」とのこと。 僕は『歴史の語り部』という言葉を思い出し、ちょっと震えました。 『津軽』には「この家の間取りは、金木の家の間取りとたいへん似ている。‥‥何の事は無い、父は金木へ来て自分の木造の生家と同じ間取りに作り直しただけのことなのだ」と書かれています。
空は晴れているのに岩木山には雲がかかって、ほとんど姿が見えません。 梵珠山方面は晴れていました。
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