続・太宰治の『津軽』を巡る (2)亀ケ岡遺跡 高山稲荷神社 2009年9月20日(日) |
![]() 木造から真っ直ぐ北へ走り、遮光器土偶で有名な亀が岡遺跡です。 亀が岡遺跡から明治19年(1886年)に出土した遮光器土偶 (しゃこうきどぐう)は、高さ34.5センチの縄文時代につくられた土偶。 なんと言っても目が特徴的で、古代北方民族が使用した雪眼鏡(遮光器)に似ていることからこの名前が付けられました。 宇宙人を思わせるこの有名な遮光器土偶を見たいと「亀が岡考古資料館」まで足を伸ばしたのですが、土偶は昭和19年に国に買い上げられ、昭和32年に重要文化財に指定され、現在は東京国立博物館に常設展示されているそうです。 残念 (^_^; ! この地域は名前が示すように江戸時代から甕などの発掘物が多く、「亀が岡文化」と呼ばれています。 「亀が岡考古資料館」には多くの発掘物が展示されていますが、考古学に興味のない僕としては、あまり面白くありませんでした。 木造町の縄文住居展示資料館「カルコ」にも、多くの遺跡からの出土品が展示されているそうです。
時は変わって2010年3月7日、僕はアルベルト・ゼッダ指揮するロッシーニのオペラ 《ギヨーム・テル》を聴くために東京に出かけました。 この機会に遮光器土偶を見ておこうと、早めに東京に着いて、上野の東京国立博物館を訪ねました。 僕 「遮光器土偶はどこに展示されているのですか?」 お姉さん「亀が岡の遮光器土偶でしたら収蔵庫に保管されています。いつ展示されるかは分かりません (@o@)」 ということで、本物の遮光器土偶を見ることは、なかなか難しいことのように思われました。 代わりに『長谷川等伯展』を見てきました。
亀が岡からなおも北へ走り、次に目指すは車力村の高山稲荷神社です。 太宰は『津軽』で小学校2,3年の時に遠足で訪れた、金木から三里半ほど離れた高山稲荷神社のことを書いています。 彼はこの時初めて海を見たのですが、へたばって、帰りは荷車に乗せられたのでした。 高山稲荷神社は津軽半島西海岸に建っていました。 回りに集落もない僻地にどうしてこのような立派な神社が建っているのか、宗教の持つ力は凄いものだと、いつもながら驚いてしまいます。 正面の大きな社殿に向かって左手に長い階段がありました
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