続・太宰治の『津軽』を巡る (3)チェスボロー号遭難慰霊碑 2009年9月20日(日) |
![]() 高山稲荷の手前の山上に「チェスボロー号遭難慰霊碑」がありました。 解説板には次のように書かれていました。 この慰霊碑は、明治22年10月、交易で来航中の英船チェスボロー号が、折からの暴風に遭難し、西浜中ノ森沖の浅瀬に座礁大破、乗員23名中19名が波に呑まれ、4名が救助されたが、この時、怒濤逆巻く中、数人の漁師たちが生命を賭して救助に当たった。 特に、その中にいた工藤はんは、瀕死の米人を自分の肌で暖め、蘇生させたという美談を讃えるとともに、あえなく異国の海に消えた19名の霊を慰めるための碑である。 チェスボロー号遭難慰霊碑は黒い台座の上に十字架が立っていました。 左側には当時の村民と思われる男女のレリーフがありました。 慰霊碑の手前には展望台が作られており、帆船のレリーフが彫られています。
展望台は日本海を望む絶景でした。 眼下にはチェスボロー号遭難慰霊碑と高山稲荷が見えます。 北には津軽半島の権現崎。 その後ろに見えるのは北海道で、右手に恵山が見えているようです。
いよいよ車力村から金木町に向かいます。 車力村から見る岩木山は麓は見えてきましたが、山頂は雲がかかったままです。 空は晴天で北海道まで見えるのに、どうして岩木山は姿を現してくれないのでしょうか?
|