続・太宰治の『津軽』を巡る
(19)弘前市立郷土文学館 おはなはん 2009年9月22日(火)

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 弘前市立郷土文学館は、お城のそばの追手門広場にありました。
 下の写真の三角の入口、右側が弘前市立郷土文学館、左側が弘前市立図書館の入口になります。

 奥に見える赤い屋根の建物は1906年(明治39年)に建設された旧市立図書館で、青森県重宝に指定されています。

 まずは手近な弘前市立郷土文学館に入ります。
 1階の展示室では、佐藤紅緑や太宰治、陸羯南(くがかつなん)など弘前ゆかりの作家の展示があります。

 2階は石坂洋次郎祈念室で、書斎が再現されていました。
 石坂 洋次郎は1900年(明治33年)1月25日~1986年(昭和61年)10月7日。
 弘前市代官町に生まれ、慶應義塾大学国文科卒。

 1925年(大正14年)に青森県立弘前高等女学校(現在の青森県立弘前中央高等学校)に勤務。
 翌1926年(大正15年)から秋田県立横手高等女学校(現在の秋田県立横手城南高等学校)に勤務。
 有名な小説『青い山脈』は、1947年(昭和22年)に「朝日新聞」に連載されました。
 
弘前市立郷土文学館 ↑  
  石坂洋次郎コーナー


 さて、隣の弘前市立図書館に移り、いよいよ今回の旅行の目的である、太宰治が通った弘前高校がどこにあったのかを調べます。
 図書館の2階には調査室がありまして、担当の方が古い地図を出してきて、いろいろ調べていただきました。

 その結果分かったのは、弘前高校があったのは現在の弘前大学教養部(赤い矢印)。
 僕は旧制高校はお城のそばにあるものだと思いこんでいましたので、こんな僻地にあったことに驚きました。

 土手町にある紀伊國屋書店で購入した「弘前市史」によれば、大正10年4月、官立第十六高等学校が弘前郊外中津軽郡清水村大字富田字名屋場に開校し、ほどなく官立弘前高校と改称したそうです。
 


 この地図を見て、もう一つ驚いたのは弘前高校の左隣り(現在の農学部)に第八師団司令部があったこと。
 終戦までの弘前は、典型的な軍都だったのです。
 近くには衛戍病院(陸軍病院)、偕行社(陸軍将校の親睦団体)などの名前も見えます。

 「弘前の連隊」といえば思い出すのが『おはなはん』。

 『おはなはん』は、1966年4月4日から1967年4月1日にかけて放送されたNHK連続テレビ小説。

 おはなはん(樫山文枝)の夫速水謙太郎大尉(高橋幸治)は弘前の連隊に左遷され、五所川原の演習で雨に打たれて病気になり、あっという間に死んでしまったのでした。

 では旧制弘前高校に向かいましょう。

桔梗野 寒沢町
 
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