続・太宰治の『津軽』を巡る (18)弘前城 隠沼(こもりぬ) 2009年9月22日(火) |
![]() 現在、江戸時代の天守閣が残っているお城は、弘前城 松本城 犬山城 丸岡城 彦根城 姫路城 松江城 備中松山城 丸亀城 高知城 伊予松山城 宇和島城 の12城で、「現存十二天守」と呼ばれているそうです。 弘前城は全国一の桜の名所として名高く、JR東日本のポスターに吉永小百合が桜の弘前城をバックに立っている写真がありました。 いま自分が吉永小百合様と同じ場所に立っている、という喜びがありました (^_^) 。 弘前城の天守閣はどう見ても櫓なんですが、本来の天守(五層)は寛永4年(1627年)に、落雷から引火した火薬の爆発で吹っ飛んでしまったそうです。 その後弘前城は約200年も天守がないままの状態が続きました。 現在の天守は文化8年(1811年)に9代藩主寧親が天守櫓移築という名目で幕府の許可を取り、隅櫓を改造する形で再建したものだそうです。 だから、江戸時代の天守が残っている、というのは決して間違いではないのです (^_^) 。
太宰治は小説『津軽』で弘前高校時代を思い出し、「天守閣広場から岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひっそりと展開しているのに気がつき、ぞっとした事がある」と書き、息をひそめてひっそりうずくまっていた町を「隠沼(こもりぬ)」と表現しています。 下の夕暮れ時の岩木山の写真は、そんな雰囲気が出ているでしょうか。
弘前城の近く、市民会館の前にある藤田記念庭園は、園内にある洋館、和館、倉庫等が2003年(平成15年)に国の登録有形文化財となっています。
|