『東京骨灰紀行』を巡る 09年12月27日(日) 旧中津藩中屋敷(2) 解体新書 |
聖路加病院の裏口を出ますと、信号の所に小さなコーナーがあり、そこに「日本近代文化事始の地」の看板が立っていました。
左手前にあるのが「慶應義塾発祥の地」。 慶應義塾は安政5年(1858年)、福沢諭吉が中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学塾に始まります。 安政5年は井伊直弼が大老になった年ですか。 右奥にあるのが「蘭学の泉はここに」。 明和8年(1771年)3月4日に千住骨が原で腑分けを見た杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らは、翌3月5日に中津藩中屋敷の前野良沢家に集まり、「ターヘル・アナトミア」の翻訳を始めたのでした。 苦心の末、『解体新書』は安政3年(1774年)8月に完成しました。 赤い石板には解体新書の図譜が刻まれています。
このあたりには「芥川龍之介生誕の地」、「浅野内匠頭邸跡」などの見所があり、写真を載せておきます。 次の目的地は杉田玄白らが腑分けを見た千住骨が原。 最寄り駅は南千住だそうで、交通アクセスも分からないまま東京メトロ築地駅に降りたら、築地と南千住は日比谷線で繋がっておりました (^_^) 。
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