姫路城(白鷺城・国宝) 2010年 4月 3日(土) |
ユネスコ世界文化遺産に登録された姫路城大天守閣が、保存修理工事のため、平成22年4月12日〜平成27年3月末まで、シートで覆われてしまうようです。 あわてて、桜の姫路城の写真を撮りにいってきました。 12:35名古屋発の「のぞみ」に乗り、14:00には姫路駅に到着しました。 戦国時代には豊臣秀吉が姫路城主であった黒田孝高(小寺家の家老)の申し出を受け、中国討伐の拠点として利用しました。 「中国大返し」の時にも、姫路城が重要な役割を果たしました。 現在の姫路城は家康の二女督姫を妻とする池田輝政が、慶長6年(1601年)から8年の歳月をかけ、建てたものです。 徳川政権を脅かす西国の諸大名をけん制することが目的でした。
元和3年(1617年)に池田氏は因幡鳥取に転封され、伊勢桑名から本多忠政が城主として入りました。 同4年(1618年)には徳川秀忠の長女千姫が忠政嫡子忠刻に嫁し、化粧櫓などが築造されました。 千姫は10年の結婚生活の後、夫に先立たれ、江戸に戻りました。 本多氏の後、松平氏、榊原氏など徳川譜代が城主となりました。 寛延2年(1749年)酒井忠恭(ただずみ)が上野前橋から15万石で入封し、以後明治維新まで、酒井氏10代の居城となりました。
実は、2月7日にも備中松山城の帰りに姫路城を訪ねています。 この時は空いていたので、天守閣の中も見学しました。
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