福井県小浜市 (2) 佐久間艇長の像 大飯原発 2015年5月31日(日)

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◇佐久間艇長の像

 佐久間勉は1878年(明治11年)に福井県三方郡八村(現・若狭町)に生まれました。
 1910年(明治43年)4月15日、30歳の佐久間艇長が指揮する第六潜水艇は、山口県新湊沖で半潜航訓練中に沈没して、14名の乗組員全員が殉職しました。
 殉職した乗組員は、ほぼ全員が自身の持ち場を離れず死亡しており、持ち場以外にいた乗組員も潜水艇の修繕に全力を尽くしていました。

 佐久間自身は、艇内にガスが充満して死期が迫る中、明治天皇に対して潜水艇の喪失と部下の死を謝罪し、続いてこの事故が潜水艇発展の妨げにならないことを願い、事故原因の分析を記した39ページにも及ぶメモを残し、次のような遺言を書きました。

 謹ンデ陛下ニ白ス
 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ
 我念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ

 死に至るまで任務を遂行した彼らの行動は世界に感動を呼び起こし、海外からも多数の弔電が届きました。
 戦前の小学校六年生用「修身」の教科書には、「沈勇」という標題で、彼らの逸話が掲載されていたそうです。
 出生地の若狭町には「佐久間記念交流記念館」があるそうです。

ここから階段を上った山中に 佐久間艇長の像


 小浜には古い街並みが残されていました。
 年配の芸者さんもいるそうです。

 若狭湾の向こうに見える中山半島の裏側に、関西電力大飯原子力発電所があるそうです。
 2014年5月に福井地裁の樋口英明裁判官は、史上最大の地震が来たら危ないというとんでもない理由で、大飯3・4号機の再稼動を差し止める判決を出しました。
 しかし、地元の人は経済活性化のため、(大きな声では言えないけれど)早期の再稼働を望んでいる人が多いようです。
 宴会が無ければ芸者さんも仕事がありませんよね。
 「騒いでいるのは遠くから来た、電気を使っている人ばかり」という、地元の人のお話でした。

 珍判決続出の樋口裁判官は、本年4月の異動で名古屋家裁に左遷されたそうです。
 地裁の裁判官は上級審任せで責任感が乏しいのか、おかしな判決を出すことが多いですね。
 これからの名古屋家裁の判決が心配です (^_^; 。

古い街並み 年配の芸者さんもいる 中山半島の一番右に、大飯原発がある
 

 昼食は小浜湾に面した「濱の四季」。
 とても美味しい店で、海鮮丼なども食べてみたかったですね。

「濱の四季」  
 
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