太宰治『津軽』落ち穂拾いの旅  Ⅱ
1)浅虫温泉『つるの湯』 2015年8月12日(水)

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 以前に2013年5月の「太宰治『津軽』落ち穂拾い」で、浅虫温泉を訪れました。
 その時の旅行記では津島家が泊まったのは「椿館」だと書きました。
 しかしその後、太宰の友人が「津島一家は『鶴の湯』に宿泊していた」という手紙を書いていたことを知り、浅虫温泉を再び訪れることにしました。

 椿館のHPには「椿館を愛していた作家はおりました。皆様もよくご存知の文豪 太宰治です。太宰治はこちらに投宿しておりまして、太宰治の母親と姉が当館に湯治をしておりました。その当時の状況は氏の小説「思い出」「津軽」に載っております。」
 と書かれているのですがね。

JR/青い森鉄道 青森駅 青い森鉄道


 何はともあれ、『つるの湯』に行ってみます。
 、『つるの湯』の近くに「温泉たまご場」があり、卵がパックのままで茹でられていました。

つるの湯 温泉たまご場


 『津軽』には、「秋になって、私はその都会から汽車で三十分くらいかかって行ける海岸の温泉地へ、弟を連れて出掛けた。そこには、私の母と病後の末の姉とが家を借りて湯治をしていたのだ。私は、ずっとそこへ寝泊まりして、受験勉強をつづけた。私は、秀才というぬきさしならぬ名誉のために、どうしても、中学四年から高等学校へはいって見せなければならなかったのである。私の学校ぎらいは、その頃になって、いっそうひどかったのであるが、何かに追われている私は、それでも一途に勉強していた。私は、そこから汽車で学校へかよった」と書かれています。

 『つるの湯』の女将さんにお話を伺って見ました。
 太宰の祖母(『津軽』には母と書かれています)と姉が湯治したのはこの『つるの湯』だそうです。
 90歳を超えた大女将がご存命で、津島一家の対応をされた方だそうです。
 何回か火事を起こし、今は民宿旅館になっているが、昔は大きな湯治場があったそうです。

 『津軽』には浅虫の海岸について次のように書かれています。
 「日曜毎に友人たちが遊びに来るのだ。私は友人たちと必ずピクニックにでかけた。海岸のひらたい岩の上で、肉鍋をこさへ、葡萄酒をのんだ。弟は声もよくて多くのあたらしい歌を知つてゐたから、私たちはそれらを弟に教へてもらつて、声をそろへて歌つた。遊びつかれてその岩の上で眠つて、眼がさめると潮が満ちて陸つづきだつた筈のその岩が、いつか離れ島になつてゐるので、私たちはまだ夢から醒めないでゐるやうな気がするのである」
 
 
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