太宰治『津軽』落ち穂拾いの旅 Ⅱ 2)浅虫温泉/小山誠一の魚屋 2015年8月12日(水) |
太宰と離婚した小山初代は、青森に帰ったあと、弟・小山誠一夫妻が母親と開いていた浅虫温泉の魚屋を手伝ったとされています。 その魚屋を探してみました。 手当たり次第、通りがかりの高齢の方に聞いてみました。 かつて、浅虫には2軒の魚屋さんがあったそうです(ちなみに、今は一軒も無いそうです)。 1軒は魚屋から旅館「双葉荘」となりましたが、数年前に廃業されたそうです。 この建物は立派すぎて、目指す魚屋では無いようです。
もう1軒は大通りの「海扇閣」の近くにあり、今では喫茶店になっているとのこと。 さっそく行ってみましたが、残念なことに喫茶店は休業していました。 向かいの和菓子店で聞いてみましたが、「私はここで暮らし始めて40年になるが、そんな話は聞いたことが無い。喫茶店のご主人も知らないと思う」との返事でした。
初代はやがて北海道に渡り、室蘭などに住みました。 そして中村清という軍属と深いかかわりを持つようになり、彼に連れられて満州に渡り、大連、青島などに住んだようです。 1942年(昭和17年)初秋に一時帰国。 東京杉並区の井伏鱒二宅に約1週間逗留した後、浅虫の実家にも1ヶ月以上滞在しました。 その時に小館善四郎(姦通事件の相手・浅虫在住)に会い「早くいい人を見つけて結婚しなさい」と勧めたそうです。 小山家の墓は弘前の清安寺にありましたが、初代の弟、小山誠一氏夫妻には子供がなく、最後まで墓を守っていた夫人が亡くなったあとは無縁仏になっているとのことでした。 |