太宰治『津軽』落ち穂拾いの旅 Ⅱ 5)竜飛・旧奥谷旅館『竜飛館』 2015年8月14日(金) |
『津軽』 もう少しだ。私たちは腰を曲げて烈風に抗し、小走りに走るやうにして竜飛に向つて突進した。路がいよいよ狭くなつたと思つてゐるうちに、不意に、鶏小舎に頭を突込んだ。一瞬、私は何が何やら、わけがわからなかつた。 「竜飛だ。」とN君が、変つた調子で言つた。 「ここが?」落ちついて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなはち竜飛の部落なのである。 この文章は、なかなか僕には理解が難しいものでした。 観光案内所のスタッフの説明では、海岸に面した竜飛集落は、強風と波浪から家屋を守るため、「カッチョ」という木製の塀で周囲を囲っていました。 太宰はその集落の様子を「鶏小屋」と表現したのだそうです。
奥谷旅館は明治35年(1902)創業の老舗旅館で、高橋竹山(津軽三味線/昭和9年)、太宰治(昭和19年)、棟方志功(昭和27年)、他にも、荻原井泉水(俳人)、佐藤忠良(彫刻家)、濱谷浩(写真家)、成田千空(俳人)などの文人墨客が泊まっています。 太宰が泊まった頃は一階建てでしたが、その後二階を増築しました(と聞いたような)。 そころが耐震基準見直しをクリア出来ず、平成11年に閉館。 奥谷旅館は持ち主である奥谷福太郎氏と隣接する土地の人達により外ヶ浜町へ無償譲渡されました。 そして、平成20年4月「龍飛岬観光案内所『竜飛館』」として生まれ変わりました。
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