太宰治『津軽』落ち穂拾いの旅 Ⅱ 4)三厩・義経寺(ぎけいじ) 2015年8月14日(金) |
今日は津軽線に乗って、三厩経由で竜飛を訪れます。 青森駅を10:38出発し、まずは蟹田で乗り換え。 蟹田の観瀾山には、2006年8月13日に登りましたが、あの頃は太宰治の人生に、これほどのめり込むことになるとは思いませんでした。 小説はほとんど読んでないんですけれどもね (^_^ゞ。 蟹田駅の看板に書かれた「蟹田つてのは、風の町だね」は『津軽』に書かれている言葉です。 「その前日には西風が強く吹いて、N君の家の戸障子をゆすぶり、「蟹田つてのは、風の町だね。」と私は、れいの独り合点の卓説を吐いたりなどしてゐたものだが、けふの蟹田町は、前夜の私の暴論を忍び笑ふかのやうな、おだやかな上天気である」。
終点の三厩(みんまや)駅には12:00着、竜飛行きの路線バスが待っていました。
三厩を抜けたあたりに、「義経寺」のバス停がありました。 バスの数が少ないので、一バス遅らすと次のバスまで待ち時間は2時間近くになってしまいます。 しかし義経寺は訪れなくてはなりません。 太宰治がN君と登ったのですから。 太宰が行った場所に行き、太宰の見たものを見なくては、「落ち穂拾いの旅」をする意味がありませんからね。 『津軽』には橘南谿の東遊記を引用して、「むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所迄来り給ひしに、渡るべき順風なかりしかば数日逗留し、あまりにたへかねて、所持の観音の像を海底の岩の上に置て順風を祈りしに、忽ち風かはり恙なく松前の地に渡り給ひぬ。其像今に此所の寺にありて義経の風祈りの観音といふ。又波打際に大なる岩ありて馬屋のごとく、穴三つ並べり。是義経の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を三馬屋と称するなりとぞ。」 青森出身の作家高木彬光はこの伝説に依って、「成吉思汗の秘密」で、ジンギスカン=源義経説を繰り広げています。
一方の太宰は『津軽』で、 「これは、きつと、鎌倉時代によそから流れて来た不良青年の二人組が、何を隠さうそれがしは九郎判官、してまたこれなる髯男は武蔵坊弁慶、一夜の宿をたのむぞ、なんて言つて、田舎娘をたぶらかして歩いたのに違ひない。どうも、津軽には、義経の伝説が多すぎる。鎌倉時代だけぢやなく、江戸時代になつても、そんな義経と弁慶が、うろついてゐたのかも知れない。」などと、夢の無いことを書いています。
|