碧雲荘(ゆふいん文学の森) 2018年4月1日(日)

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 移築された『碧雲荘』を見学に、湯布院まで1泊2日で遠征してきました。
 荻窪にあった『碧雲荘』には、2015年7月19日に行ったことがあります。
 「ゆふいん文学の森」のHPには、以下のように解説されています。

 作家・太宰治が一時暮らしていた東京のアパート『碧雲荘』(東京都杉並区天沼)。この昭和初期に建てられた建物が2016年3月に解体することになりました。解体を惜しむ声が挙がるなか立ち上がったのが湯布院で『おやど二本の葦束』を営む橋本律子さん。
 橋本さんは2015年12月26日、東京の友人から碧雲荘 のことを聞き、所有者の田中利枝子さんの生家である碧雲荘の思いも聞き、保存のために移築することを決めました。
 碧雲荘の移築を手がけたのは別府市の宮大工、神田眞男さん。これまで新潟や富山など築100年以上の古民家など、数々の文化財の移築に携わってきた、腕利きの職人です。解体は2016年2月から作業を開始。棟梁と二代目となる息子、孫の3人で作業しました。
 杉並区で解体された資材が湯布院に運び込まれたのは同年3月末。10tトラック3台分の資材を陸路で湯布院まで運びました。再利用する部材、廃棄する部材を見極め、昔の建物を現在の建築基準に合わせるのは大変でした。
 移築途中に熊本・大分地震(2016年・平成28年4月14日)により工事は中断。強い揺れに見舞われましたが基礎工事にかかる前であったため被害はありませんでした。工期が大幅に遅れたものの、本震から1年の節目に、建物は「ゆふいん文学の森」としてオープンし、歴史の新たなページが開かれることになりました。
 
ゆふいん文学の森 重厚な佇まいの二階建て

 ゆふいん文学の森は由布市外にあって、JR由布院駅から車で10分。
 荻窪では幽霊屋敷のように思えた碧雲荘は、重厚な佇まいの二階建てとなっていました。
 左の扉を開けるとカフェと展示室があって、一階には大家さん一家が住んでいたそうです。
 
左の扉はカフェと展示室 荻窪の碧雲荘から持ってきた石だとか

 碧雲荘を正面から見て、右の扉を開けるとらせん階段があって、二階に上がると向かいに便所がありました。
 僕はこの便所を確認したくて、由布院にやって来たのでした。

右の扉を開けると二階への階段 二階に上がると向かいに便所

 昭和12年3月上旬、29才の太宰は、卒業作品(帝国美術学校)提出のために青森から上京した画学生・小館善四郎(姉きゃうの義弟)を碧雲荘に迎えました。
 そしてこの便所で善四郎と並んで用を足したときに、善四郎から内妻初代との姦通を打ち明けられたのです。
 太宰は平静を装いましたが、内心は強い衝撃を受けました。

『東京八景』
 けれども、まだまだ、それは、どん底ではなかった。そのとしの早春に、私は或る洋画家から思いも設けなかった意外の相談を受けたのである。ごく親しい友人であった。私は話を聞いて、窒息しそうになった。Hが既に、哀しい間違いを、していたのである。

 昭和10年10月から11月にかけて、太宰がパビナール中毒治療のため武蔵野病院に入院しているときに、面会を禁じられた初代は、親戚である小館善四郎の看病(自殺未遂)を頼まれます。
 その時に「哀しい間違い」があったのです。
 二人はこのことを秘密にすることを誓い、善四郎は青森に帰りました。
 しかし、善四郎は太宰から受け取った手紙(11月29日付)を読んで、秘密が明るみになったと勘違いしてしまったのでした。

 便所の前に立ち、ここで太宰が「哀しい間違い」を打ち明けられ(東京八景)、じめじめ泣いた(富岳百景)のかと想像すると、感慨深いものがあります。

 善四郎が帰ったあと、太宰は初代に事情を問いただしましたが、初代は最初は「半可臭い(はんかくさい・馬鹿馬鹿しい・津軽弁)」と取り合いませんでした。
 しかし太宰がなおも問い詰めると、初代は「死んでお詫びを」と言って泣き崩れてしまったそうです。(野原一夫・太宰治 結婚と恋愛、ほか)。
 
便所からこの通路を通って奥の左側 この部屋で太宰は初代を問い詰めた

『富岳百景』
 三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆しつくし、おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟つぶやきのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。

 便所から廊下を曲がった一番奥の左側が太宰夫妻の部屋で、この部屋で太宰が初代を問い詰めたのかと想像すると、またまた感慨深いものがあります。
 太宰の部屋からは由布岳(豊後富士)が綺麗に見えていました。
 
太宰の部屋から見た由布岳(豊後富士) 荻窪の碧雲荘から移植された桜
 
由布岳を背景に両岸に桜と菜の花が咲き乱れる大分川は、有名な撮影スポットです。