龝吉敏子 & ルー・タバキン・トリオ 2005年9月10日(土) スタジオF(岐阜県笠原町) |
《カーリュウ・リヴァー》終演後すぐにホールを飛び出し、愛知環状鉄道から中央線に乗り換え、多治見に到着したのは開演時間の6時30分。 タクシーで笠原町にある「スタジオF」に到着(2150円)したのは7時前でした。 「スタジオF」へは、6月のリニー・ロスネスに続き、2度目の訪問になります。 「スタジオF」を主宰される藤井修照先生は穐吉さんの古くからの友人&応援者で、毎年彼女のコンサートを「スタジオF」で開かれているそうです。 LEW TABACKIN TRIO with TOSHIKO AKIYOSHI 2005年9月10日(土)6:30PM スタジオF 岐阜県笠原町 ルー・タバキン(アメリカ人):テナーサックス/フルート ボリス・コズロフ(ロシア人):ベース マーク・テイラー(イギリス人):ドラムス 穐吉敏子さんは1929年(昭和4年)12月12日、満州の遼陽に商社マンの四女として誕生しました。 幼少時よりピアノを習い、終戦後は苦難の末日本に引き揚げ、別府で新しい生活が始まりました。 16歳で別府のダンスホールのピアニストとして演奏活動を始め、福岡、東京と演奏の場を移しました。 1996年(昭和31年)1月12日渡米し、バークレー音楽院に入学。 アメリカでの演奏活動が始まりました。 穐吉さんの演奏は少しタッチが弱い印象も持ちましたが、左手の小指を痛め1999年に手術を受けられたそうです。 後半のプログラムではそんな不満も感じることもなく、75歳とは思えない熱演を堪能させていただきました。 ルー・タバキンは穐吉さんのご主人ですが、1940年生まれ。 姉さん女房なんですね。 テナーサックスとフルートを演奏しましたが、達人かと思いました。 この日のコンサートで演奏された曲のいくつかを紹介します。 『孤軍』 1974年、小野田少尉がフィリピンのルバング島で投降したニュースに彼女は強いショックを受けました。 30年という長い年月を一人で暮らした小野田少尉と、渡米してからの自らの孤軍奮闘をオーバーラップさせて作曲されたのが『孤軍』です。 『フォー・シーズンズ』 1995年に青森県森田村に新しく出来た野外コンサートホールのために委嘱された曲。 僕はこの曲は知らなかったんですが、森田村の野外コンサートホールには行ったことがありまして‥‥まあ、どこにでも行っておくものですね (^_^ゞ。 『フェアウェル・トゥ・ミンガス』 1962年、彼女はチャールズ・ミンガスのグループに入団しました。 この日のコンサートに使われたベースは、かつてミンガスが演奏した楽器だそうです。 穐吉さんもそのことを知らなかったようで、驚いておられました。
終演後、穐吉さんの本 『孤軍』 のプレゼントがありました。 表紙に穐吉さんのサインが書かれた本は5冊。 入口で渡されたプログラムの右下に番号が書かれており、司会の藤井先生により番号が指定されます。 で、最後の5冊目に僕の「99番」が呼ばれたんですね (^o^) 。 聞けば、この日のコンサートが99回目のコンサートだったそうです。 遅刻したことが、思いがけない幸せになったわけです (^_^ゞ。 岩崎哲也さんによるこの本は大変詳しい調査に基づきながらも読みやすい内容で、感心いたしました。
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