イタリア声楽コンコルソ@すみだトリフォニーホール
2006年7月2日(火) 3:00PM

日本大学板橋病院  「REVIEW06」に戻る  ホームページへ  笛田博昭観劇記録
 
 
 特に予定もなく暇な日曜日。
 思いついて「大学病院食べある記・日本大学」と「イタリア声楽コンコルソ」に行ってきました。
 目的が一つだと大儀な東京遠征ですが、二つまとまれば敷居が低くなります (^_^ゞ。

 コンクールなるものを一度は見てみたいとかねてから思っていました。
 今回は注目しているテノールの笛田博昭さんも出場されるし、すみだトリフォニーホールも一度は入ってみたいと思っていました。

JR総武線・錦糸町駅 すみだトリフォニーホール
トリフォニーホールへの階段 開場前の会場
扉が開くと ロビーを見下ろす


 トリフォニーホールはなかなか素敵なホールでした。
 観客は1階に100人ちょっとでしょうか。
 審査員は2階席に5人くらい。

◇ 第37回 イタリア声楽コンコルソ 本選会

・ミラノ大賞部門(賞金200万円) 1979年 9月 1日以降に
                    出生したもの
・シエナ大賞部門(賞金200万円) 1970年 9月 1日以降に
                    出生したもの

 前半は若手の「ミラノ大賞部門」。
 ソプラノ4人、テノール1人、バリトン2人が出場されました。
 相対的にレベルが低く、最初に歌われた桝 貴志さんが良かったですね。

 「シエナ大賞部門」は、さすがにレベルが高かった。
 メゾソプラノ1人、テノール5人、バリトン3人、バス1人。

 最初が笛田博昭さん。
 1978年10月8日生 名古屋芸術大学大学院修了

 《シモン・ボッカネグラ》と「星は光ぬ」をボリュームのある声でゆったりと歌い上げたのですが、喉の調子が悪いようで、声を張り上げると声が割れてしまい、これでは思うように歌えなかったでしょう。
 9月の《トゥーランドット》に期待するといたしましょう。

 3番目、東京芸大卒のテノール竹内俊介さん(ロッシーニ《新聞》)は、良いリリコテノールかと思いました。
 1977年6月2日生

 5番目が加藤利幸さんで、これには驚いた。
 1972年10月13日生 横浜国立大中退

 初めて加藤さんを見たのが昨年の大須オペラ《サルタンバンク》のアンドレ少尉
 エチケット伯爵の原さんに「そんなにカッカとすると頭が禿げるぞ!」と言われていたアンドレ少尉が、イタリア声楽コンコルソの本選会まで進出していたとは (@o@)。
 今年は大須オペラに出ないので残念に思っていたら、こういうわけだったんですね。
 『妙なる調和』と『誰も寝てはならぬ』をかっちりとした声で歌い上げ、拍手も多く、金賞を受賞されました。

 6番目が唯一の女性で、メゾソプラノの吉永裕恵さん。
 1973年3月11日生 大阪音楽大学専攻科終了
 『今の歌声は』など、声量はないけれど、爽やかな歌唱に好感を持ちました。

 7番目の大石洋史さんは、迫力があって良かったですね。
 1977年4月14日生 昭和音楽大学大学院オペラ専攻終了

 ここからバリトン、バスが4人続き、ミラノ大賞部門から聴いていると全部で17人。
 僕としてはこのあたりになると疲れて、誰が誰だか分からない状態 (^_^;。

 結局9番目に歌われた須藤慎吾さんが大賞を取られたのですが、あまり記憶になくて申し訳のないことです。
 1972年4月19日生 国立音楽大学大学院声楽専攻オペラコース終了


 結果は深夜に「日本イタリア協会」のHPに出ておりまして、以下の通りです。
 http://www.nipponitalia.com/

》ミラノ大賞 桝 貴志(バリトン)
》シエナ大賞 須藤 慎吾(バリトン)
》金賞 加藤 利幸(テノール)
》金賞 大石 洋史(バリトン)
》金賞 鍾 皓(バス)
》ソプラノ特賞 藤谷 佳奈枝(ソプラノ)
》イタリア大使杯 加藤 太朗(テノール)
》イタリア大使杯 笛田 博昭(テノール)


 会場で「101歳の人生をきく」(講談社・1500円)という本が売られておりまして、買ってみました。

 この中川牧三という人は「日本イタリア協会」の会長なんですが、近衛秀麿に連れられて欧州に渡り、モーリス・ラヴェルとも握手したという驚くべき人物。
 フルトヴェングラーもデル・モナコも、みんなお友達らしい。

 心理学者の河合隼雄さんとの対談ですが、対談相手にも恵まれ実に面白い。
 帰りの新幹線であっという間に読んでしまいました。

 ボローニャにも家があって、多いときは年に10回ほど、日本とイタリアを往復しているとか (@o@)。

 最近本屋さんに積まれている『近衛秀麿』(大野 芳・講談社・1900円)にも出てくる、音楽史上の人物ですが、この日も2階席で審査員をしておられたようです。
 
 
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