『マリー・アントワネットの宮廷画家/ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』
石井美樹子 河出書房新社 2400円

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 1995年6月、僕はロンドンのナショナルギャラリーを訪れました。
 泰西名画が並ぶナショナル・ギャラリーですが、そこで一番気に入った絵が「麦わら帽子の自画像」という女流画家(エリザベス=ヴィジェ・ルブラン・1782年)の絵。
 ナショナル・ギャラリーの日本語ガイドブック「ナショナル・ギャラリーの20の絵」にも載っていませんが、このヴィジェ・ルブラン、絵が上手な上に美人なんですよ (^_^) 。

 ヴィジェ・ルブランがどういう人かも知らずに年月が経ち、2011年2月に『マリー・アントワネットの宮廷画家/ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』(石井美樹子 河出書房新社)という本が出版されました。

 ヴィジェ・ルブランの生涯を詳細にまとめられた石井美樹子さんの労作に、驚きを持って感謝したいと思います。
 そして、その表紙に載っている絵が懐かしい「麦わら帽子の自画像」です 。
 美人でしょう (^_^)?

 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン(1755~1842年)はパリの画家の娘として生まれ、10代から肖像画家として知られていました。
 ヴィジェ・ルブランは1776年(21歳)からマリー・アントワネットの肖像画を描くようになりました。

 マリー・アントワネット(1755年~1793年10月16日)がルイ16世に嫁いできたのは1770年のことでした。
 「麦わら帽子の自画像」は1782年というから27歳頃の作品でしょうか、すでに娘ジュリーが生まれています。

 1789年10月、ヴィジェ・ルブランはフランス革命初期に命からがらイタリアに脱出し、イタリアに4年、オーストリアに2年、ロシアに6年暮らしました。
 オーストリア(1792年~1795年)ではハイドン、ベートーベンと同じ時代をウィーンで暮らしました。
 ロシアでは、女帝エカテリーナ2世の宮廷の皇族を多数描きました。

 荒れ狂った革命が落ち着いた1802年、ヴィジェ・ルブランはフランスへ戻りました。
 しかしナポレオンの宮廷に馴染めず、彼女はイギリスに渡り、イギリス貴族の肖像画を描きました。
 ナポレオン失脚後はルイ18世のフランスに戻り、活動を続けました。

 1809年にはルーヴシェンヌに屋敷を購入。
 1842年にパリのアパートで死去。 87歳。
 ルーヴシェンヌの墓地に埋葬されました。

 東京・丸の内の三菱一号館美術館で、3月1日~5月8日にかけて『ヴィジェ・ルブラン展』が開かれているそうです。
 どうしても行かなくてはね (^_^) 。
 

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