五嶋みどり ヴァイオリンリサイタル 2011年6月19日(日)6:30PM 宗次ホール |
世界の「Midori」が、座席数300の宗次ホールで演奏するという贅沢なコンサートに行ってきました。 宗次ホールは五嶋龍さんにストラディヴァリウス(エクスピエールローデ)を無償貸与しているので、その関係かと思ったのですが、このコンサートの主催はメーテレ。 もっと大きいホールでの公演も出来たでしょうに、えらいぞ、メーテレ (^_^) 。 ![]() 五嶋みどり ヴァイオリンリサイタル 2011年6月19日(日)6:30PM 宗次ホール ピアノ:オズガー・アイディン ・モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調 K.526 ・ブラームス:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第1番ト長調 Op.78 == 休憩 == ・サッリネン:4つのエチュード Op.21 ・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調「クロイツェル」 Op.47 五嶋みどりさんは1971年生まれだから39歳ですか。 初来日のコンサート(1987年・15歳)を聴いて以来、僕は彼女こそが世界最高のヴァイオリニストだと思っております。 彼女が拒食症で入院し、演奏活動を中断したことは『絶対音感』(最相葉月)や『母と神童』(奥田昭則)にも詳しく書かれていますが、ここが天才の苦しいところですね。 現在は南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校のヤッシャ・ハイフェッツ記念教授を努めておられるそうです。 強く深い音楽を表現するためには弓を強く押さえつけなければなりません。 するとギーギーと雑音が入ってくるのですが、彼女の音にそのようなことはなく、果てしなくスケールの大きい音楽が演奏されます。 つまりスケールの大きい曲ほど彼女の魅力を堪能できるわけで、本日の演目ではブラームスが一番良かったでしょうか。 第一楽章の最後のあまりの迫力には息も出来ないくらい。 呼吸困難で、自分が倒れるかと思いました。 皆さまもそうだったのでしょう、第一楽章が終わったときには会場から「フ~」と息を吐き出す音が大きく聞こえました。 考えてみれば、ヴァイオリンソナタって、あまり名曲がありませんね。 五嶋みどりさんのスケールにふさわしいのはフランクのヴァイオリンソナタくらいでしょうか。 ヴァイオリン協奏曲に名曲は多いんですがね。 彼女の演奏を支えるのはグァルネリ・デルジェス“エクス・フーベルマン”ですが、週刊新潮3月10日号に次のような記事が掲載されていました。 ◇倒産「林原」で債権者が当てにする5億円バイオリンの「五嶋みどり」 インターフェロンの開発でも有名な「林原」が会社更生法の適用を申請し、その負債総額はグループで1300億円にものぼる。 「林原」はメセナにも力を入れ、五嶋みどりさん(39)に92年にストラディバリウス“ジュピター”と、00年にグァルネリ・デルジェス“エクス・フーベルマン”を終身貸与しており、彼女はグァルネリを好んで弾いている。 だが、そんな名器も債権者の一部から「売り払って返済に回せ」という声がさっそく出ている。 心配なことです。 ピアノのオズガー・アイディンはなかなかの名手かと思いました。 プログラムによれば、1972年アメリカ合衆国コロラド州で、トルコ人の両親のもとに生まれる。 トルコのアンカラ音楽院卒業後、英国王立音楽大学(ロンドン)に留学。 現在はベルリン在住。 アンコールはドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』一曲だけ。 帰りのロビーで「ミート&グリートのお客様は一列にお並び下さい」という会場係の声が聞こえたので、何はともあれ並んでみました。 どうも五嶋みどりさんが握手とサインをして下さるようです。 AKB48のようなものでしょうか (^_^; 。 ![]() CDを買う必要はなく、希望者全員が「ミート&グリート」できるようです。 順番が回ってきますと、五嶋さんはにっこりと手をさしのべて下さいました。 細いからだなのにすごく柔らかい手で、驚きました。 このようなこともあろうかと、僕は初来日(1987年)のロビーで買った『雨の歌』(五嶋節)を持っておりまして、サインしていただきました。 とても『Midori』とは読めませんね (^_^; 。 表題の『雨の歌』とは、本日演奏されたブラームスのヴァイオリンソナタ第一番のことで、初来日(15歳)の時にもこの曲が演奏されたのでした。 そして僕は「生きている奇跡」を見たのでした。 今回の来日公演では『雨の歌』の副題が消えていて、何か心境の変化があったのでしょうか? ※ 女性自身 平成23年11月22日号 ◇五嶋みどり(40)12年間ずっと一緒だった私の分身(バイオリン)が競売に! 岡山のバイオ関連企業「林原」の倒産により行方が心配されていた五嶋みどりさんの愛器グアルネリ・デル・ジュス「エクス・フーベルマン」の競売が現実味を帯びてきた。 10月11日、管財人の代理人と大手オークション会社の人がニューヨークの自宅にやって来て、「どうやって売ろうか?」とみどりさんの前でオークションの相談を始めた。 みどりさんは「ママ、どうなるの?」と呆然と突っ立ていた。 |