フジコ・ヘミング & フィリップ・ジャルスキー 2011年7月25日(月)7:00PM 愛知県芸術劇場コンサートホール |
1999年2月11日に放映されたNHKのドキュメント番組「フジコ~あるピアニストの軌跡~」はたまたま見ておりまして、「すごい人生を送った人がいるなあ」と驚いたのですが、これほどまでのブームになるとは。 一度は実際の演奏を聴いておかなくてはとコンサートに出かけました。 イングリット・フジコ・ヘミング ピアノ・ソロ・リサイタル 2011 2011年7月25日(月)7:00PM 愛知県芸術劇場コンサートホール ウィークデイなので遅れて会場に到着したところ、ロビーのスピーカーからはバロック音楽が聞こえて参りまして、「会場を間違えたか?」とビックリ (@o@)。 ![]() 会場の案内によれば、スペシャルゲストのフィリップ・ジャルスキーとアンサンブル・アルタセルセの演奏が行われているそうです。 「時間稼ぎか?」と思ったのですが、この演奏がなかなか良かった。 演奏されたのはヴィヴァルディの作品で、 モテット「闇の恐れのあまりにも長く」 ヴァイオリン協奏曲「グロッソ・モグール」第一楽章 歌劇《ジュステイーノ》より「この事びをもって会おう」 オラトリオ《勝利のユデイ一夕》より「松明と蛇で身を護り」 ジャルスキーは美声のカウンターテナーで、難易度の高い曲を歌っていました。 アンサンブル・アルタセルセもしっかりとしたバロックアンサンブルで、ジュリアーノ・カルミニョーラほどやりたい放題ではありませんが、かなり自由度の高い演奏をしていました。 「もっと小さいホールなら、より楽しめただろう」と思っていたら、7月28日(木)に、しらかわホールでコンサートがあるようです。 木曜日か‥‥。 9500円か‥‥ (^_^; 。 続きまして、フジコ・ヘミングとフィリップ・ジャルスキーによる共演がありまして、R.アーン作曲「クローリスへ」と「ブドウ収穫期の3つの日」が演奏されました。 レイナルド・アーン(1875~1947)はベネズエラ出身でフランスに帰化した作曲家だそうで、中でも「クローリスへ」は美しい曲でした。 この曲をもう一度聴きたくて、スーザン・グラハムのCDを買ってしまいました (^_^) 。 ここからフジコ・ヘミングのコンサートとなりまして、ショパンの「ノクターン作品9の1」と「別れの曲」が演奏されて休憩となりました。 第一部にかかった時間はおよそ1時間で、決して手抜きではありませんでした。 休憩時間のロビーでは実弟の俳優大月ウルフさんが、よく通る声で大活躍でした。 売店に立っていた金髪美人は姪のリサさんでしょうか。 家内産業的な雰囲気を感じました (^_^) 。 ![]() 第二部は純粋にフジコ・ヘミングさんのリサイタル。 客席は満席に近い状態でした。 フジコ・ヘミング(1932~)はロシア系スウェーデン人の父親(画家・建築家)と、日本人ピアニストとの間にベルリンで生まれる。 5歳の時に日本に帰国する。 東京芸術大学出身。 ドイツ留学後、ブルーノ・マデルナに才能を認められ、レナード・バーンスタインにも支持されるが、風邪で聴力を失うというアクシデントに遭遇。 母の死後、1995年に日本へ帰国。 1999年にNHKのドキュメント番組が大反響を呼び、デビューCD「奇蹟のカンパネラ」が日本ゴールドディスク大賞、クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを計4回受賞という偉業を成し遂げている。(プログラムより) ショパン:24の前奏曲作品28より 第7番 第3番 第10番 第11番 第5番 第19番 :練習曲作品25より「木枯らし」 J.S.バッハ:カンタータ「主よ、人の望みの喜びよ」 C.ドビュッシー:「版画」より「雨の庭」 F.リスト:「3つの演奏会用練習曲」より「ため息」 「パガニーニ大練習曲」より「ラ・カンパネラ」。 ゆっくりと舞台に現れたフジコ・ヘミングは、魔法使いのおばあさんのようなステージ衣装。 ゆっくりな曲は、古い演奏様式を思わせる節回しを、興味深く聴かせていただきました。 「木枯らし」など技術的に難しい曲は、少し迫力に欠けたでしょうか。 |