マキシム・ヴェンゲーロフ ヴァイオリンリサイタル 2012年10月6日(土)6:30PM 昭和女子大学 人見記念講堂 |
1986年10月17日(金)に聴いたエフゲニー・キーシン、1987年に聴いた五嶋みどり、1988年4月に聴いたマキシム・ヴェンゲーロフ。 この3人は「神様から奇跡の才能を与えられた神童は実在するのだ」、ということを教えてくれた、僕にとって特別の存在です。 僕が最初にヴェンゲーロフを聴いたのは、1988年4月の名古屋市民会館でした。 エフゲニー・キーシンとのコンチェルトの夕べで、後ろで指揮をした髪の薄い指揮者がワレリー・ゲルギエフ。 オーケストラは名古屋フィルハーモニー交響楽団でした。 僕のお目当てはキーシンでしたが、しかし、その日僕がキーシン以上に驚愕したのは、パガニーニの『ヴァイオリン協奏曲第1番』を弾いた13歳のヴェンゲーロフでした。 髪を長く伸ばした女の子みたいな子供なのに、技術的にも音楽的にも非の打ち所のない演奏で、「神様から才能を与えられた神童って、キーシンだけではないのだ」との感を強く持ちました。 彼の演奏で僕が最も感心したのは、右手に持つ弓の強い圧力。 ふつう弓で弦を強く圧迫すると、ギーギーと雑音が出てしまうのですが、ヴェンゲーロフの場合はそれが深い音となって出てくるのです。 「そんなに圧力をかけては楽器が壊れるのではないか?」と心配したものですが、その前に彼の肩が壊れてしまい、2008年に演奏活動から引退してしまったのは人類の宝を失ったようなショッキングな出来事でした。 『ヴァイオリニスト大島莉紗~パリ・オペラ座からの便り~』によれば、当時のヴェンゲーロフのステージ料は世界最高の500万円だったそうです。 そのヴェンゲーロフが演奏活動を再開し、8年ぶりの来日公演があるということで、昭和女子大学 人見記念講堂に飛んでいきました。 人見記念講堂は客席数2000席という巨大なホールですが、9割以上の入りだったのではないでしょうか。
![]() マキシム・ヴェンゲーロフ ヴァイオリンリサイタル 2012年10月6日(土)6:30PM 昭和女子大学 人見記念講堂 ピアノ:イタマール・ゴラン ・バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ・シューベルト:ヴァイオリン・ソナタ ・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」 パルティータ第2番を聴いて思ったのは、昔は弓で押さえつけて楽器を鳴らしていたのに、今は楽器そのものから音が湧き出てくるような響かせ方になったなということ。 昔の方が彼の演奏家としての意志を感じることが出来て好きでしたが、肩を痛めて演奏方法を変えたのでしょうか? それでも、ヴェンゲーロフの「シャコンヌ」を聴くことが出来たのは幸せなことでした。 今回僕が圧倒的な感銘を受けたのは「クロイツェルソナタ」。 今までこの曲は僕にとって、長くて退屈な、我慢する曲でした。 2011年に聴いた五嶋みどりさんの演奏でも、その印象は変わりませんでした。 ところがヴェンゲーロフの演奏はひとつひとつのフレーズに細かなニュアンスがあって、退屈するところがありません。 あの長大な第2楽章を、これほど面白く聴けるとは。 僕は「クロイツェルソナタ」を改めて見直しました。 プログラムによれば、彼の使用する楽器は1727年製のストラディヴァリウス「クロイツェル」だそうで、ロドルフ・クロイツェル自身が使った楽器なのでしょうか? オペラグラスでじっと楽器を見つめてしまいました。 僕はパリのペール・ラシェーズ墓地で、クロイツェルのお墓参りをしたのでした。 ピアニストのイタマール・ゴランがまた素晴らしかった。 普通ソリストはピアニストから見えるところに立ち、ジェスチャーやアイコンタクトで曲を合わせていくわけです。 ところが、ヴェンゲーロフはピアニストの左前方に立ちました。 つまり、ピアニストからヴァイオリニストは見えず、またヴァイオリニストからピアニストは見えないわけです。 それでいて細やかなフレーズの動きがぴったりと合っている。 どれほどの回数の積み重ねがあったのでしょうか、信じられないものを見させていただきました。 アンコールはヴェンゲーロフ自身のアナウンスで、ブラームス:ハンガリー舞曲第1番、ヴィエニャフスキ:スケルツォ・タランテラ、マスネ:メディテーション。 アナウンス無しの最後の曲は「ふるさと」でした。 一曲終わるたびに譜めくりの女性が楽譜を持って帰るので、楽譜が残っていれば、まだアンコールがあるな、と分かるわけですね (^_^) 。 上の写真はプログラムですが、裏には「お帰りなさいマキシム! KING of VAIOLIN 8年ぶりの日本降臨」と書かれておりまして、全くその通りだなと思いました。 ヴェンゲーロフは、やはり素晴らしかった。 終演後にはサイン会もあり、長い列が出来ていました。 何百人にサインしたのでしょうか? |