奇跡の歌声 リナ・ヴァスタ with 上江隼人&笛田博昭
2014年6月6日(金)6:45PM しらかわホール

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 リナ・ヴァスタさんが日本で知られるようになったのは、2001年に、ヴェルディの没後100年を記念して、NHKが制作したドキュメンタリー『人生を奏でる家』で紹介されたことがきっかけでした。
 『人生を奏でる家』とは、ヴェルディが私財を投じて建てた音楽家のための老人ホーム『音楽家憩いの家』のこと。

 その後加藤浩子さんの「人生の午後に生きがいを奏でる家―終の棲み家は、どこで誰と暮らすのか 音楽家ヴェルディが遺した『憩いの家』に学ぶ」でも、リナさんは大きく取り上げられました。

 リナ・ヴァスタさんはカターニャ出身、14歳でミラノの音楽院に入り、16歳の若さでオペラデビュー。
 27歳で指揮者のご主人と結婚しますが、このご主人が嫉妬深く、ラブシーンが許されず、オペラの世界から引退することになります。
 
 1984年に夫と共に『憩いの家』に移り住み、夫の死後30年ぶりに音楽活動を再開しました。
 現在ミラノの『憩いの家』に在住し、イタリア国内を始め海外で音楽活動を行いながら、後進の指導にも当たっています。
 今年84歳を迎えられたそうです。

 僕はヴェルディ夫妻のお墓参りに、07年5月4日に『音楽家憩いの家』を訪れた事があります。
 お墓のある中庭に入ると、開いた窓から歌声やピアノがてんでバラバラに聞こえてきました。
 あのソプラノがリナ・ヴァスタさんだった可能性は、大いにありますね (^_^) 。

 笛田博昭さんがリナさんに会ったのは2007年の夏で、一声聴いて「この先生に習いたい」と思ったそうです。
 実際に習ったのは2009年の秋から2年くらい。
 本年(2014年)『音楽の友5月号』143ページに、リナ・ヴァスタさんのインタビューが載っています。
 その中で彼女は、「弟子の日本人の熱心な練習ぶりには感心します。特に笛田博昭はオペラ歌手としての資質を兼ね備えていて頼もしい限りです」と語っていて、大学生の頃から笛田さんを聴き続けているぼくとしては、いささかの感慨がありました。

 奇跡の歌声 リナ・ヴァスタ
 2014年6月6日(金)6:45PM しらかわホール

 リナ・ヴァスタ(ソプラノ)
 上江隼人(バリトン)
 笛田博昭(テノール)
 ヴィンチェンツォ・パスクァリエッロ(ピアノ)

 上江隼人さんと笛田博昭さんはリナさんのお弟子さん。
 ヴィンチェンツォ・パスクァリエッロさんはリナさんの息子さんだそうです。

 スカルラッティ:わたしを傷つけるのをやめるか(上江)
 ヴェルディ:「ドン・カルロ」より“最後の日が来た”(上江)
 トステイ:理想の人(笛田)
 ヴェルディ:「運命の力」より“天使のようなレオノーラ”(笛田)
 ヴェルディ:「運命の力」より“天使の中の乙女”(リナ)
 ヴェルディ:「ドン・カルロ」より二重唱“われらの胸に友情を”(上江&笛田)
 プッチーニ:「修道女アンジェリカ」より“母もなく”(リナ)
  == 休憩 ==
 ドビュッシー:「前奏曲第2集」より“霧”:(パスクァリエッロ)
 ヴェルディ:「椿姫」より“燃える心を’’(笛田)
 ヴェルディ:「椿姫」より“プロヴァンスの海と陸”(上江)
 ヴェルディ:「椿姫」より“さようなら過ぎ去りし日々よ”(リナ)
 ガスタルドン:禁じられた音楽(笛田)
 カルディッロ:カタリー(上江)
 デ・クルテイス:君を愛す(リナ)
  == アンコール ==
 プッチーニ:「トスカ」より“歌に生き恋に生き”(リナ)
 ヴェルディ:「椿姫」より“乾杯の歌”(全員)

 リナ・ヴァスタさんは元気なおばあさんでした。
 笛田さんが衝撃を受けた2007年からもう7年が経っていますから、声量はそれほどとは思いませんでしたが、決めるところはバッチリと歌い上げてくれます。
 特に、最後の音を長く伸ばすときに音がふらつかないのには感心しました。
 84歳ですからね。

 中でも、“母もなく”と“歌に生き恋に生き”が気に入りました。
 インタビューもあり、リナさんは会場中に投げキッスを振りまきながら、お元気に退場されました。