ドイツ音楽紀行(9)1997年4月14日(月)
エンデニヒ ボン・シューマンハウス

前のページへ  旅行記の最初へ  ホームページへ  次のページへ
 
 
 4月14日(月)は、今にも雨が降りそうな曇り空。 寒くて、吐く息も白くなる。
 旅行中は毎日寒い日が続いたので、コート無しではどうなったことやら。

 この日はまず、ボン近郊(市内?)のエンデニヒにあるシューマンハウスを訪れた。
 1854年2月、当時デュッセルドルフに住んでいたシューマンは精神錯乱からライン川に投身自殺を図り、その後エンデニヒの精神病院に入院させられた。
 その病院が今はシューマンハウスとして保存されている。

 ボン中央駅の右手にあるバスターミナルのD2乗り場から634番のバスに乗り、6つ目の ENDENICH-SCHULPLATZ まで約20分。
 ここがエンデニヒの中心部のようだ。
 で、バイクで通りかかったお姉さんにシューマンハウスへの道を尋ねる。

 この広場からバスの進行方向から左に曲がり、左手に教会を見ながら約300メートルでシューマンハウスに到着する。
 向こうの方で手を振っている人がいたので、よくよく見ればさっきのお姉さん。
 バイクで先回りして待っていてくれたんだ (^_^) 。
 『地球の歩き方』によれば、ボンのバスターミナルから直接シューマンハウス前のバス停(SEBASTIAN STR.)まで来るバス路線もあったようだ。
 
シューマンハウス 壁のレリーフ

 シューマンハウスは下が白、上がピンクのツートンカラーの2階建て。
 道路に面した面で15〜20メートル。
 奥行きもそれほど無い、こじんまりとした建物だ。

 玄関から入ると2階に行くように言われ、2階のドアを開けると、そこは図書館というか資料室というか、本や楽譜の整理をするような部屋で、お姉さんが一人でコンピューターに向かっていた。
 シューマン関係の展示はその右手奥の部屋にあった。
 入場無料。
 内容はどこでも同じ、写真とか楽譜だね。

 1854年2月27日、ライン川に投身自殺を図ったシューマンは、3月4日にこの病院に移送された。
 シューマンは入院後、クララとの面会は病状が悪化するとして許されず、クララが夫に再び会うことが出来たのは1856年7月26日だった。
 そしてシューマンはその3日後、7月29日に死亡した。
 享年46歳。

 ブラームスはクララとシューマンの感動的な別れの場面を手紙に書いている。
 当時クララとの恋愛に悩んでいたブラームスにとっては、なかなか微妙な場面であったであろう。
 
 今回の旅行の教科書は、いつものように福原信夫さんの『ヨーロッパ音楽旅行案内』(音楽之友社)。
 で、その本には『今はシューマン病院となっている』と書かれていたので、お姉さんに聞いてみた。
 答えは『この建物がシューマンが入院した病院で、彼はこの建物で死亡した。今は資料館となっており、この近くに病院は無い』とのことであった。
 精神病院というにはいかにも小さい建物で、もう少し詳しく聞きたかったんだが、それを聞くだけの語学力がないところが、我ながら情けない (^_^;。

 これでボンはおしまい。
 中央駅から汽車に乗りデュッセルドルフに向かう。
 

前のページへ  旅行記の最初へ  ホームページへ  次のページへ