ドイツ音楽紀行(19)1997年4月16日(水)
マンハイムとモーツアルト
 
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 ヴィースバーデン出発は7:52。
 10分くらいでマインツ到着。
 途中で渡ったライン川はきれいだった。
 マインツから、8:12出発の『ルードウィッヒ・ファン・ベートーベン号』に乗り込む。
 この日はヴィースバーデンから南下して、マンハイム、カールスルーエ、バーデンバーデンまで足を伸ばし、フランクフルトに戻ってオペラ《フィデリオ》を観劇する予定。
 列車はライン川に沿って走り、8:52マンハイム到着。

 1777年10月、21才のモーツアルトは就職活動のためマンハイムにやってきた。
 当時マンハイムには、芸術文化の振興に熱心な選帝候カール・テオドールのもとに、マンハイム楽派と呼ばれる音楽家達がおり、ドイツ最高のオーケストラがあった。
 また、モーツアルトはこの街で、アロイジア・ウェーバーという16才の娘を恋するようになった。
 彼女は素晴らしい声をしていたようだ。
 結局、就職活動には失敗し、アロイジアには失恋してしまうんだが‥‥。
 モーツアルトはマンハイムで《フルート協奏曲》《フルート四重奏曲》《バイオリンソナタ》などを作曲した。
 彼がウィーンで結婚するコンスタンツェ・ウェーバーは、アロイジアの妹になる。

宮 殿 騎士の間


 マンハイム到着後、何はともあれ宮殿に行ってみる。
 開館時間の10時少し前に行くと、入り口前にはドイツ人20人くらいの団体が待っていた。
 この人たちが親切で、彼らと一緒に一般人は入れないところまで、連れていってもらった。
 マンハイムの宮殿は第二次世界大戦で破壊され、現在の建物は戦後の再建になるそうだ。
 広い前庭を持つピンクの建物で、現在は主に大学として使われており、やたら学生の行き来が多い。

 中央の扉から中に入るとそこは広いエントランスロビー。
 モーツアルトが演奏した『騎士の間』は2階の中央にあり、2〜300人は入れる華麗な広間だった。

 その後余った時間を1日乗車券で市電に乗って過ごす。
 ネッカー川を渡ったり、マンハイムのシンボルだという給水塔(写真)も見た。

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