インフォーメーションを出て、町の中心部を歩いてみた。
銅像があったので見てみたら、オリンピックのクーベルタン。
IOCの会議って、バーデンバーデンで開かれるんだって?
THEATER (バーデンバーデン劇場)入り口の壁に、ベルリオーズがこの劇場のために《ベアトリスとベネディクト》を作曲した、というプレートがあった。
あとは、トリンクハレで温泉水を飲んだ。
昨年、バート・イシュルで温泉水を飲み損なった(時間が遅かった)僕にとって、この温泉水はどうしても飲んでおきたいものだった。
これも『地球の歩き方』の記載とは異なり、タダ。
紙コップで飲み放題だった。
味はなま暖かくて少し塩味だった、と報告しておこう。
それほど塩気は多くないと思ったが、その後、のどが渇いて困った。
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トリンクハレ |
LICHITENTALER ALLEE |
それから、バーデンバーデン劇場の前から KLOSTER LICHITENTAL まで続いている
LICHITENTALER ALLEE を歩いてみた。
前項にも書いたが、この道は、かつて王侯貴族や文化人が散歩した社交場だ。
真ん中に芝生のグリーンベルトがあり、その両側に木立が並んでいて、実に美しい。
この道の終わるところにブラームスハウスがあるのでちょうど都合がいいと思ったんだが、これが遠かった (^_^;。
僕は16:24の列車でフランクフルトへ戻り、《フィデリオ》を見なくてはならないのだ。
たまらずバス通りに出て、やっと来たバスでブラームスハウスへ向かった。
この日は、実に暑かった (^_^;。
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ブラームスハウス |
室 内 |
さて、クララ・シューマンプラッツから階段を上り、ブラームスハウスに到着。
入り口は裏側にあって、これが閉まっていた。
扉を叩くと女の人が出てきたが、これが普通の民家のおばさん風 (^_^;。
で、指示に従い2階に上がる。
焦っているので感慨に浸っている余裕もないんだが (^_^;、部屋は確か2つあった。
居間兼作曲室といった感じの部屋と寝室。
寝室のベッドなんかを見ると、本当にこの場所に30代のブラームスが寝ていたんだな、と不思議な気持ちになる。

この寝室の窓からの景色(写真右 → )が素晴らしかった。
さすが高台だけあって、リヒテンタールを一望できる。
BONIFATIUS-KIRCHE の尖塔が印象的だ。
ブラームスハウスで貰った資料に拠れば、彼がこの家で作曲したのは《交響曲第1番》《交響曲第2番》《ピアノ5重奏曲》《ホルン3重奏曲》《チェロソナタ第1番》《弦楽6重奏曲》《ドイツレクイエム》。
よく分からないんだが、上記の資料によれば、彼がこの家に住んだのは1865年(32才)から1874年(41才)だという。
ところが《交響曲第1番》が完成したのは1976年のこと。
そして自筆譜の最後のページには『J.ブラームス リヒテンタールにて 76年9月』と書かれているんだが、この辺りはどうなっているのだろうか?
クララ・シューマン・ハウスはリヒテンタール14番地にあり、7864年から73年までの夏を家族そろって過ごしたそうだ。
当然の事ながら、ブラームスもクララ一家と楽しい時間を過ごしたわけだろう。
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