ドイツ音楽紀行99(6) 1999年4月30日(金)
オイティン (ウェーバーの生家)

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 今日はバッハゆかりの街リューベックとリューネブルクを回る予定。
 時間があれば、リューベックからリューネブルクの路線上にあるメルンにも行ってみたい。
 まずは、ハンブルク発 7:15の汽車でリューベックへ。

 リューベック到着は7:54なんだが、時刻表を見ていたら、このままこの汽車に乗っていけば、バルト海に面したトラヴェミュンデに行けることに気がついた。
 まだ時間は早すぎるし一度バルト海も見てみたいということで、まずトラヴェミュンデに行ってみることにした。
 ところが、予定の時間を過ぎても汽車は止まらないし、バルト海も見えてこない (@o@)。
 これは間違えた! ということで、次の駅で汽車から飛び降りた。
 その駅の名はオイティン(EUTIN)。
 どうもキール方向に来てしまったようだ。


 時刻表を見ると、帰りの汽車までは1時間も時間がある。
 呆然としたが、僕はオイティンの名前には覚えがあった。
 この街はオペラ《魔弾の射手》で有名な、カール・マリア・フォン・ウェーバーが生まれた街なのだ。

 気を取り直して街へと向かったが、このオイティンという街は実に美しい街だった。
 落ち着いた古い町並み、お城もあれば教会もあり、マルクト広場には市場も立っていた。
 そして、お城の後ろには森と美しいオイティン湖が広がる。
 つまり、オイティンには我々がドイツの街に望む全てのものが揃っているのだ。

 9時になりインフォーメーションが開いたので、ウェーバーの生家について聞いてみたところ、お姉さんは地図を出して丁寧に教えてくれた。
 その家はオイティンの町はずれ、リューベック通りとWeide通りの角にあった。
 今はカフェ・ウェーバーとなっていて、壁にはプレートがはめられている。
 1786年、ウェーバーは旅芸人一座の楽長の9番目の子供として、この家で生まれたのだ。
 周りには 『魔弾の射手通り』 も 『カール・マリア・フォン・ウェーバー通り』 もあり、ウェーバーを大事にしてくれているオイティンの人々の気持ちが嬉しいではないか (^_^) 。












 生家の写真を撮ってから駅までひたすら走り、9:29 リューベック行きの汽車に乗った。
 しかし 『人間万事塞翁が馬』 というか、思いもかけない成果に僕は大変満足だった (^_^) 。
 オイティンでは 『EUTINER SOMMER SPIELE/OPER IM SCLOSSPARK』 として、7月2日から8月8日までオペラフェスティバルがあるらしい。
 街で見たポスターによれば、《フィデリオ》 《マダム・バタフライ》 《ヴェニスの一夜》が上演されるようだ。

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