ドイツ音楽紀行99(9) 1999年4月30日(金)
 リューネブルク (バッハ)

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 13:42メルン発、14:20リューネブルク着。
 タクシーでまず『地球の歩き方97〜98』に書かれている『ドイツ塩博物館』へ。
 ところがここは閉まっていた。
 旧市街地を少しはずれたところで、建物はあるんだが寂れて、閉館している感じ。
 潰れてしまったのだろうか?
 向かいの建物が郊外型スーパーで、駐車場に車が多かった。


 次に向かったのが聖ミヒャエル教会。
 ヨハン・セバスチャン・バッハは1700年3月(15歳)からの数年を、この教会の付属音楽学校で学んだ。
 バッハは教会の『朝課合唱隊』の隊員として採用され、わずかながらも給与を支給され、ミヒャエル学校に学ぶことを許された。
 この合唱団には応募者が殺到し、入団することはきわめて難しかった。

 バッハはまもなく変声期を迎えソプラノの声を失ったが、バイオリンやビオラ奏者として残ることを許され、勉強を続けた。
 この教会の楽譜ライブラリーは大変充実したもので、若きバッハ少年に多大な音楽的影響を与えた。

 ということで訪れた聖ミヒャエル教会だったが、内部では足場を組んでの大規模な内部工事が行われていた (@o@)。
 オルガンを見たかったのに (>_<) 。

 仕方がないので教会の周りを散歩してみた。
 『昔バッハ少年が歩いたであろう道を、いま自分が歩いている (^_^) 』という感激が『作曲家ゆかりの地』を訪れる醍醐味だ。
 教会の奥の道を歩いていたらピアノの音が聞こえてきたので、この辺りがバッハが通った音楽学校なのだろうと勝手に決めておいた (^_^;。

 次に市庁舎に行ってみたが、前の広場は工事中。
 どうもこのリューネブルクという街は観光的魅力に乏しい街だと思われた。
 ハイデにエリカの花が咲く季節ならいいのかな?
 有名な古いクレーン(写真 → )は撮っておいた。

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