この列車で日本人らしい人を見かけたので声をかけてみたところ『どうして日本の方がこんな所におられるんですか
(@o@)!』と驚かれてしまった (^_^;。
彼はイシダマサキさんといって、Nordost Deutche Philharmonie というこの地方のオーケストラでバイオリンを弾いておられるんだそうだ。
ここでイシダさんからザスニッツではケーニッヒ・ストゥールに行くよう、強く勧められた。
最後には『ケーニッヒ・ストゥールに行かなくてはザスニッツに行く意味が無いですよ』とまで断定されてしまった
(^_^;。
ビンツへ向かうイシダさんとはリューゲン島の中央に位置するベルゲンでお別れ。
ブラームスの親しい友人でもあった大外科医テオドール・ビルロートは、1829年4月26日にベルゲンに生まれた。
父親はプロテスタント教会の副牧師だった。
ブラームスが避暑地にリューゲン島を選んだのは、ビルロートのアドバイスがあったのだろう。
13:20ザスニッツに到着。
ザスニッツはバスも走っている、思ったより大きい街だった。
駅員にブラームスのことを聞いたが、全く知らないとのこと (-_-) 。
駅前に出ると通りの向こうに青いバルト海が見えるので、そちらに向かった。
スカンジナビア半島への乗船場もあった。
交差点を左に曲がり中央通りを歩いていたら、リューゲンホテルにインフォーメーションを発見した。
ここのお姉さんはあまり英語が得意ではないみたいで、『LIVEって何?』『そりゃWOHNENでしょ』なんて会話があったりしたが
(^_^) 、一生懸命対応してくれた。
彼女の話では、ブラームスのプレートはかつて病院にあったが、その病院は建て替えられ、プレートはもう無いとのこと。
それからザスニッツにはヨハネス・ブラームス・シュトラーセという通りがあるということだ。
これは何よりの情報だった (^_^) 。
さっそくヨハネス・ブラームス・シュトラーセに向かう。
ヨハネス・ブラームス・シュトラッセは街の外れ、ティアガルテンのそばにあった。
僕が今まで各地のブラームスの家を訪ねた経験では、彼の家は街外れの高台にあり、近くに散歩できる公園があることが多い。
ヨハネス・ブラームス・シュトラーセはその条件に合っているので、多分この通りに彼が住んだ家があったと思われる。
高台の建物からはバルト海がよく見えたことだろう。
そして、ブラームスは広いティアガルテンを散歩しながら交響曲第1番の構想を練ったことであろう。
さて、ブラームス関係では一応の目的を果たした。
素人の僕としてはこれ以上調べるすべがない。
ということで、残された時間で目指すのはイシダさんお勧めのケーニッヒ・ストゥール。
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