ドイツ音楽紀行99(20) 1999年5月3日(月)
ザスニッツU (ブラームス交響曲第一番)

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 この列車で日本人らしい人を見かけたので声をかけてみたところ『どうして日本の方がこんな所におられるんですか (@o@)!』と驚かれてしまった (^_^;。
 彼はイシダマサキさんといって、Nordost Deutche Philharmonie というこの地方のオーケストラでバイオリンを弾いておられるんだそうだ。
 ここでイシダさんからザスニッツではケーニッヒ・ストゥールに行くよう、強く勧められた。
 最後には『ケーニッヒ・ストゥールに行かなくてはザスニッツに行く意味が無いですよ』とまで断定されてしまった (^_^;。
 ビンツへ向かうイシダさんとはリューゲン島の中央に位置するベルゲンでお別れ。

 ブラームスの親しい友人でもあった大外科医テオドール・ビルロートは、1829年4月26日にベルゲンに生まれた。
 父親はプロテスタント教会の副牧師だった。
 ブラームスが避暑地にリューゲン島を選んだのは、ビルロートのアドバイスがあったのだろう。

 13:20ザスニッツに到着。
 ザスニッツはバスも走っている、思ったより大きい街だった。
 駅員にブラームスのことを聞いたが、全く知らないとのこと (-_-) 。
 駅前に出ると通りの向こうに青いバルト海が見えるので、そちらに向かった。
 スカンジナビア半島への乗船場もあった。

 交差点を左に曲がり中央通りを歩いていたら、リューゲンホテルにインフォーメーションを発見した。
 ここのお姉さんはあまり英語が得意ではないみたいで、『LIVEって何?』『そりゃWOHNENでしょ』なんて会話があったりしたが (^_^) 、一生懸命対応してくれた。
 彼女の話では、ブラームスのプレートはかつて病院にあったが、その病院は建て替えられ、プレートはもう無いとのこと。
 それからザスニッツにはヨハネス・ブラームス・シュトラーセという通りがあるということだ。

 これは何よりの情報だった (^_^) 。
 さっそくヨハネス・ブラームス・シュトラーセに向かう。
 ヨハネス・ブラームス・シュトラッセは街の外れ、ティアガルテンのそばにあった。
 僕が今まで各地のブラームスの家を訪ねた経験では、彼の家は街外れの高台にあり、近くに散歩できる公園があることが多い。
 ヨハネス・ブラームス・シュトラーセはその条件に合っているので、多分この通りに彼が住んだ家があったと思われる。
 高台の建物からはバルト海がよく見えたことだろう。
 そして、ブラームスは広いティアガルテンを散歩しながら交響曲第1番の構想を練ったことであろう。


 さて、ブラームス関係では一応の目的を果たした。
 素人の僕としてはこれ以上調べるすべがない。
 ということで、残された時間で目指すのはイシダさんお勧めのケーニッヒ・ストゥール。

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