ドイツ音楽紀行99(19) 1999年5月3日(月)
ザスニッツT (はじめに&ストライキ)

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 ブラームスが最初に交響曲の作曲に取り組んだのは1855年(22歳)頃とも言われているが、彼はベートーベンの偉大な9つの交響曲を意識するあまり、なかなか交響曲を発表しようとはしなかった。
 1876年、作曲家としての名声も高まった43歳のブラームスは、夏の仕事場としてバルト海リューゲン島にあるザスニッツを選び、交響曲第1番の作曲に本格的に取り組んだ。
 この交響曲はザスニッツでは完成せず、9月になって移ったバーデン・バーデンのリヒテンタール(ここには行ったことがある)で完成した。
 自筆スコアの最終ページには『J・ブラームス リヒテンタールにて 76年9月』と書かれている。

 僕は今までに、交響曲第2番のペルチャッハ第3番のヴィースバーデン第4番のミュルツツーシュラークに行ったことがあり、最後に残った交響曲第1番のザスニッツにには、どうしても行っておかなくては気が済まないわけだ。
 この気持ち、分かるでしょう (^_^) ?

 日本では現在のザスニッツのブラームス史跡について書かれた本は出版されていないようだ。
 そこで、事前にハンブルクのヨハネス・ブラームス・ゲゼルシャフト(ブラームス記念館と同じ住所)に問い合わせたところ『ブラームスが住んだ家は分からない。彼がよく食事をしたホテルFahrenbergはもう残っていないが、今その場所に建っている建物の壁にはプレートがはめられている』との返事をもらった。

 ということで旅行記を始めよう。

 1999年5月3日(月)5時30分起床。
 今日は今回の旅行の最大の目的の一つ、バルト海リューゲン島にあるザスニッツまで往復するので、ゆっくり眠ってはいられないのだ。
 6時前に駅に到着したが、チケット売り場は閉まっていて、前には旗を持った人々が立っている。
 なんと! ドイツ鉄道がストライキをしているのだ (@o@) 。

 今日は遠出が出来ないのかとまっ青になったが、よくよく聞けばストは7時半まで、ということだったので、ホテルに戻り朝食を食べることにした。
 ウェイトレスのお姉さんの話では、鉄道のストは一年に一度くらいとのことだ。
 2日前は一年に3日のチケット売り場の休み、昨日はマラソンと月に一度の美術館入場無料の日、そして今日は年に一度のストライキか。
 なんと言ったらいいか、お姉さんにもケタケタ笑われてしまったよ (^_^;。

 7時半にチケット売り場が開いたので、ザスニッツまでの一等車(123DM・8500円くらい)を買った。
 ストの関係でダイヤは混乱していて、プラットフォームは人の波。
 結局6:49発のシュトラールズント(リューゲン島への玄関口)行きが発車したのは8:21であった。
 そうそう、トーマスクックの時刻表と現地の時刻表は微妙に違うような気がした。
 一等車に乗っているのは僕ひとりという個室状態で、じつに快適であった。
 というより、ノイブランデンブルクの辺りからこの汽車の客は僕一人になってしまったようだった。
 窓の外は森と草原が続き、時々美しい湖も見える。

 12:00にシュトラールズントに到着。 12:07のザスニッツ行きに乗車する。
 予定より2時間遅れか。
 でも、ここからは時刻表通りの旅が出来るわけだ。 と思ったら出発が15分遅れ。

 ザスニッツ行きの汽車はシュトラールズントを出るとすぐ、狭い海峡となったバルト海を渡り、リューゲン島に入った。
 リューゲン島から眺めたシュトラールズントの街は、バルト海の向こうに大きな教会や街が浮かび、中世そのままのような美しさだった(写真↓)。
 大きな汽船も停泊していて、さすがのハンザ都市だ。
 リューゲン島に入ってからも、車窓から時々バルト海が見えた。

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