ドイツ音楽紀行99(21) 1999年5月3日(月)
ザスニッツV (ケーニッヒ・ストゥール)

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 ブラームス探訪を終え、次に目指すはケーニッヒ・ストゥールだが、残された時間は50分弱。
 何とかタクシーを捕まえたいものだと思うが、街にタクシーは見当たらない。
 と、目の前にバスが止まった。
 『バーンホフ?』『ヤー!』 ということでこのバスに乗り、駅に到着するとそこには1台のタクシーが停まっていた。
 誰にもこのタクシーを取られないように僕は走り (^_^) 、このタクシーに乗り込み、ケーニッヒ・ストゥールに向かった。

 ケーニッヒ・ストゥールはバルト海に面した高台にある展望台だ。
 駐車場にはバスや乗用車が停まっていた。
 タクシーを待たせたままケーニッヒ・ストゥールへの道を走る。
 驚いたことに、ケーニッヒ・ストゥールの入り口には料金所があった (@o@)。
 この料金所にはフリードリッヒが描いた『リューゲン島の白亜岩』のポスターが貼られていた。

 シュトラールズント近くのグライフスワルト出身のカスパール・ダヴィッド・フリードリッヒ(1774 - 1840)は、何度もリューゲン島に足を運び、多くの絵を残している。
 『リューゲン島の白亜岩』は44歳で初めて結婚したフリードリッヒが若き新妻カロリーネとケーニッヒ・ストゥールを訪れたときの思い出による1818年の作品。
 この絵はスイスのヴィンタートゥアにあるそうだ。

 料金所(写真→)で入場料2マルク(140円)を払い、ゲートを通ると狭い道の向こうにプラットフォームとなった展望台(写真↓)がある。
 展望台は柵がしてあったが、身を乗り出して柵からのぞき込むと、フリードリッヒが描いた白亜の絶壁が眼下に望める。
 まったく『王の椅子』という名前にふさわしい絶景だ。
 遠くまで青く広がるバルト海が、痛いほど目にまぶしい。
 本当に今回の旅行は天気に恵まれた。


 待たせていたタクシーで駅に戻り、所要時間30分。
 40マルク(2800円)で釣りは要らない、というところかな。
 帰りの汽車は14:56発。
 ザスニッツ滞在時間は、ざっと1時間半であった。
 シュトラールズント発16:27。ベルリン東駅着19:24。
 列車の運行は時刻表通りになっていた。
 帰りも一等車にしたつもりだったのに、よく見るとチケットは二等(82マルク6000円)だった。
 行きは123マルクだったから、一等と二等の差は41マルク(2800円)なんだ。
 この汽車はライピツィッヒ行きで、ツォー駅ではなくベルリン東駅に停まった。

 しかし、このベルリン東駅というのは何処なのであろう?
 『地球の歩き方97〜98』の交通地図をいくら探しても東駅はない。
 自分が何処にいるのか分からないのは、アイデンティティーを失ったような感じで、不安だ。
 差し当たり、ホームで『ナッハ ツォーバーンホフ?』と確認してSバーンに乗ったんだが、アレキサンダープラッツの辺りで僕は突然気が付いた。
 『地球の歩き方97〜98』の交通地図に中央駅と書かれている駅が、東駅に名前が変わっていたんだね\(^o^)/。
 最後の最後になって、やっと分かったよ (^_^) 。

 この交通地図の中央駅は『地球の歩き方98〜99』でも訂正されていない。
 もうじき発売されるであろう『地球の歩き方99〜00』では訂正されるのであろうか?
 僕は注目しているよ (^_^) 。
 帰国後いろいろガイドブックを調べてみたが、この『東駅』が正しく書かれた地図が載っているのは、『昭文社・個人旅行』だけだった。

 このツォー駅へのSバーンで、僕は初めて検札に出会った。
 Gパン姿のお兄さんが、身分証明書を見せながら前と後ろから回ってくる。
 3日前に国際親善でお姉さんから買った10マルクの乗車券がやっと役に立ったわけだ (^_^) 。

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