ブダペスト紀行(13) 03.12.30(火)
后妃エリザベート刺殺の服(国立博物館)

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 后妃エリザベートは、1889年9月10日午後1時、スイスのジュネーヴ、レマン湖畔で、25歳のイタリア人無政府主義者、ルイジ・ルケーニに心臓をやすりで一突きにされ死亡しました。
 彼女はルドルフ皇太子がマイヤーリンクで情死してから、常に喪服のような黒い服を着ていました。
 河出書房新社の「皇妃エリザベート」(南川三治郎)で彼女が刺されたときに着ていた服の写真を見てからもう数年、僕はこの服を自分の目で見たいものだと思っていました。

 しかし、ブダペストのガイドブックをいくら読んでも、その服がどこにあるのか書かれていないんです。
 やっと「皇妃エリザベートの真実」(集英社文庫)32ページに、「着ていたドレスには三角形の刺し跡が残った。‥‥イルマ・スターライ伯爵夫人はこのドレスを記念に頂戴した。これはのちブダペストの『王妃エリザベート記念館』に遺贈され、現在ハンガリー国立博物館にある」と書かれているのを発見し、それを頼りに国立博物館に向かいました。

 ガイドブックには国立博物館と紛らわしい名前の博物館が多く、心配していたんですが、受付で聞いたら「15番の部屋にあります」との返事で、「ここで良かったんだ!」と心から安堵しました (^_^)。
 入場料600フォリント。
 写真撮影は1500フォリントで、首から許可証を掛けられました。


国立博物館 15番の部屋


 この博物館はアルパート王以来のハンガリーの歴史が展示されているらしいんですが、ひたすら15番の部屋を目指します。
 その部屋は何の変哲もない部屋でした。
 そして、壁に小さいガラスケースに入った展示が並んでいます。
 その一つが探し求めていた服だったんです。
 「ハプスグルク時代の服」とか書かれてね。

 僕は后妃エリザベートがこれほどまでに軽んじられていることに驚きました。
 ウィーンの軍事史博物館にある、フェルディナンド大公(サラエヴォで暗殺された)の血染めの軍服とは大違いです。
 係員は立ち止まる人に「この服はエリザベートが死んだときに着ていた服だ」と説明しています。
 しかし、この服に気づかず通り過ぎる人がほとんどです。

 早速撮影に入ります。
 しかし、窓からの光を反射する小さなガラス箱に入った黒い服を撮影することは、下の写真でお分かりいただけると思いますが、至難の業でした。

 いったん諦めまして、売店に国立博物館のパンフレットを買いに行ったんですが、パンフレットにこの服は載っていないんです。
 絵はがきも無いんです。
 ハンガリーのために尽くした后妃エリザベートに対し、何という恩知らずな扱いでしょう。


3つ並んだ真ん中の黒い服 フラッシュなしではこうなる
近くでフラッシュを焚くとこうなる 苦労して境地に達しました (^_^)

 15番の部屋に戻りまして、しつこく写真撮影を繰り返します。
 デジカメはその場で画像が確認できるのがいいですね。
 苦労すること30分、ついに僕は境地に達しました。
 ある角度から、ある距離を離れて、フラッシュを使って、ちゃんとした写真が撮れたんですよ。
 襟の横に開いている穴がルケーニによる刺し口でしょうか。
 ウェストの細さは驚異的でした。

ウェストの細さは驚異的 こちらが刺されたサイド
襟の横に穴が‥‥ 「モハーチの戦い」で戦死したラヨシュ二世


 この博物館には、もう一人興味深い人物の肖像画がありました。
 1525年、オスマントルコとの「モハーチの戦い」において、わずか20歳で戦死した、ヤゲロー王朝のラヨシュ二世です。
 写真に見える鎧は彼の鎧だそうです。
 この戦いの結果、ハンガリーの大部分はオスマントルコの支配下に入り、ドナウ以西のハンガリーとボヘミアは、妻マリアの実家であるハプスブルク家のものになってしまいました。

 そしてハンガリーが独立を取り戻したのは、およそ400年後の第一次世界大戦後になります。
 

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