ウィーン紀行(16) 04.1.1(木)
アルサーシュトラーセ20番地 (ビルロートを巡って)

前へ  ホームページ  ウィーンの目次  次へ
 

◇ アルサーシュトラーセ20番地

 テオドール・ビルロートは、1867年8月にウィーン大学の外科教授に就任しました。
 チューリッヒ大学時代からブラームスとの交友があったビルロートですが、同じウィーンに住むようになり、彼らの付き合いはますます深いものとなります。

 1874年、ビルロートは総合病院に近いアルサーシュトラーセ20番地に邸宅を求めました。
 ベートーベンの時代この家にはフランクという有名な医師が住んでおり、ベートーベンやハイドンが通ったということです。

テオドール・ビルロート アルサーシュトラーセ
ビルロートの家 入り口のプレート


 ビルロート家のサロンでは、ブラームスの新作が、少数の音楽仲間を相手に試演されるようになりました。
 室内楽の場合はヘルメスベルガーやヨアヒムという有名な音楽家が演奏し、交響曲の場合はピアノ連弾の形で演奏されました。
 交響曲第2番について評した「この曲はすべてが青い空、川のせせらぎ、太陽の光と涼しい森の木陰だ。ペルチャッハとはどれほど美しいところだろう」という有名なビルロートの言葉も、この邸宅でのピアノ連弾の演奏を聴いての感想です。

 僕はこの言葉に惹かれて、1991年8月にペルチャッハに行ってしまいました。

 ビルロートは1881年に世界で初めて胃切除術に成功した大外科医ですが、手術の当時も彼はこの家に住んでいたわけです。
 では、この家から東へ、彼の勤務先であった総合病院に向かって歩いてみましょう。
 

前へ  ホームページ  ウィーンの目次  次へ