前へ ホームページへ ウィーン紀行目次へ 次へ |
ウィーン大学病院前には作戦通りタクシーが並んでいました。 運転手さんに「シューベルトパルク」というと、またしても分かりません。 こちらもこの状況に慣れてきましたので、「ヴェーリンガーシュトラーセ123」と言うと、シューベルト公園に行くことが出来ました (^_^) 。 シューベルト公園の地下はパーキングになっており、04年1月1日に来たときは、駐車場工事中のために公園に入ることが出来なかったのでした。 かつてのヴェーリング墓地は広い公園になっておりまして、イメージが狂ってしまいました。 この広い墓地のどこにベートーベンとシューベルトのお墓があるのか、本当にお墓があるのか、心配しながら探していくと左側の壁にお墓が見えてきました。
ベートーベンは1827年3月26日にシュヴァルツシュパニエルハウスで死亡しました。 葬儀は29日にドライファルティッヒカイト教会で行われ、ヴェーリンガーシュトラーセのヴェーリング墓地に埋葬されました。 この時ベートーベンの棺を担いだシューベルトも翌1828年11月19日にわずか31歳で亡くなり、「ベートーベンの近くに葬ってほしい」という希望通り、ベートーベンの隣に葬られました。 1863年10月に彼らの墓は発掘され、検屍が行われました。 屍体愛好家であったブルックナーがこの検屍に参加し、彼らの頭蓋骨を触ったり口づけしたということです。 遺体はまた埋葬されましたが、彼らの墓は1888年に中央墓地ができたときに、名誉地区32Aに移されました。 ベートーベンとシューベルトのお墓は並んでいますが、もともとの場所から移されているようです。 これではお墓の持つ荘厳さが失われ、単なる記念碑になっていて、感動も半減してしまいます。 「こういうことを確認するために音楽史跡の旅をしているのだ」と自分に言い聞かせても、すっきりはしませんでしたね。
|