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世界で最初に胃切除術に成功し、胃切除術にその名を残す大外科医テオドール・ビルロートと大作曲家ヨハネス・ブラームスは、生涯にわたる親しい友人でした。 1877年に作曲されたブラームスの交響曲第2番を評した「この曲のすべてが青い空、泉のざわめき、太陽の輝き、そして涼しい緑の木陰だ。ペルチャッハとはどれほど美しいところだろう?」というビルロートの言葉は、『ブラームスの田園交響曲』と呼ばれるこの交響曲の解説に、必ず引用される有名な言葉です。 「ビルロートを巡る旅」は04年1月にしたのですが、あのときは正月でウィーン大学、ヨゼフィーヌムが休館していたため、今回の「落ち穂拾いの旅」となりました。 アルザー通り20にあったビルロート家のサロンではではブラームスを中心とした音楽サークルが開かれ、多くの新作が披露されました。ビルロートはピアノ、バイオリン、ビオラで演奏に参加しました。
ビルロートの家から東方向を眺めると、右手に大きな教会が見えます。 この教会はベートーベンの葬儀が行われたドライファルティッヒカイト教会で、かつてウィーン総合病院はその向かいに建っていました。 1881年1月29日の朝、ビルロートはこの景色を見ながら世界で最初の胃切除術に向かったのですね。 手術が成功した後の1881年3月から4月にかけて、ビルロートはブラームスとの2回目のイタリア旅行に出かけました。 彼らがイタリア旅行から帰ってしばらくした4月下旬に患者は食事が摂れなくなり、5月24日に胃ガンの再発で死亡しました。 世界で最初の胃切除術成功とブラームスとのイタリア旅行が時期的に重なっているところが、僕としては興味深いところです。
◇ ドライファルティッヒカイト教会(聖三位教会) 1827年3月26日にシュヴァルツシュパニエルハウスで死亡したベートーベンの葬儀は、29日の3時からこの教会で行われ、2万人の人々が参列しました。 そして、彼の棺はヴェーリンガーシュトラッセのヴェーリング墓地(現シューベルト公園)に埋葬されました。 教会左側の壁にはベートーベンのプレートが、右側の壁にはシューベルトのプレートがはめられています。 シューベルトのプレートがどうしてあるのか不思議だったんですが、彼はその死の数週間前に、この教会のために「信仰と希望と愛」という賛歌を作曲したんだそうです。
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