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アイゼンシュタットはこぢんまりとした街でしたが、エステルハージー宮殿は実に立派な宮殿でした。 エステルハージー侯爵家はハンガリーでもっとも有力な貴族の一人だったようです。 ハイドンは1761年、29歳の時にエステルハージー侯爵の副楽長となり、アイゼンシュタットにやって来ました。 1766年に楽長となり、1790年に楽団が解散されてウィーンに移るまで、およそ4半世紀にわたりこの街を中心に活動しました。
内部の見学はガイドツアーでした。 エステルハージー侯爵一族には音楽好きが多かったようですが、ハイドンが仕えたニコラウス候はバリトン(チェロの一種?)の名手で、彼が使ったと思われる楽器が展示されていました。
ガイドツアーの最後が有名なハイドンザールです。 これは実に豪華な大広間でした。 アイゼンシュタットという田舎町にこれほど豪華な大ホールがあって、そこでハイドンが率いる数十人のオーケストラが彼の新作を演奏して、数百人の聴衆がその演奏を聴いた。 そのようなことが現実にあったとは、ちょっと信じられない思いでした。 そもそも数百人の聴衆はどこから来たのでしょう?
宮殿前のカフェで休憩。 一番最初の写真の門の前に、リストの座像がありました。
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