ウィーン 落ち穂拾いの旅 19)エステルハージー宮殿
2008年8月15日(金)

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 アイゼンシュタットはこぢんまりとした街でしたが、エステルハージー宮殿は実に立派な宮殿でした。
 エステルハージー侯爵家はハンガリーでもっとも有力な貴族の一人だったようです。

 ハイドンは1761年、29歳の時にエステルハージー侯爵の副楽長となり、アイゼンシュタットにやって来ました。
 1766年に楽長となり、1790年に楽団が解散されてウィーンに移るまで、およそ4半世紀にわたりこの街を中心に活動しました。
 
エステルハージー宮殿 前の家族は室内楽奏者
中 庭 ガイドツアーの入口


 内部の見学はガイドツアーでした。
 エステルハージー侯爵一族には音楽好きが多かったようですが、ハイドンが仕えたニコラウス候はバリトン(チェロの一種?)の名手で、彼が使ったと思われる楽器が展示されていました。

音楽室 室内楽演奏用の机
侯爵はバリトンの名手だった こんな美人もいたらしい (^_^)


 ガイドツアーの最後が有名なハイドンザールです。
 これは実に豪華な大広間でした。

 アイゼンシュタットという田舎町にこれほど豪華な大ホールがあって、そこでハイドンが率いる数十人のオーケストラが彼の新作を演奏して、数百人の聴衆がその演奏を聴いた。

 そのようなことが現実にあったとは、ちょっと信じられない思いでした。
 そもそも数百人の聴衆はどこから来たのでしょう?

豪華この上ないハイドンザール


 宮殿前のカフェで休憩。
 一番最初の写真の門の前に、リストの座像がありました。
 
宮殿前のカフェ 宮殿を見ながら一休み
正門から道を渡ると リスト像
 
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