ローマ紀行 2009年1月2日(金)
18)サンタンジェロ城(聖天使城)の1 《トスカ》の旅(Ⅳ)

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 聖ピエトロ大聖堂からテヴェレ川にかかるヴィットリオ・エマヌエーレ2世橋に戻り、サンタンジェロ城を眺めます。

 今日は昨日とは異なり晴天で嬉しくなってしまいます。
 いくらでも芸術写真が撮れる感じ (^_^) 。
 
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世橋から アップ
 
 
 テヴェレ川沿いにサンタンジェロ橋まで移動し、写真を撮ってから橋を渡ります。
 昨日の大混雑が嘘みたいです。

サンタンジェロ橋を渡って サンタンジェロ城へ
ベルニーニ作『天使像』(のコピー) もう一つ (^_^;


 サンタンジェロ城正面の入口から入り、カッサでチケットを買います。
 いよいよ《トスカ》第三幕の舞台を見ることが出来るのかと胸が高鳴ります。
 
サンタンジェロ城正面入口 カッサ


 サンタンジェロ城は135年、ハドリアヌス帝が自らの霊廟として建設を始め、139年アントニヌス・ピウス帝の時代に完成されました。
 ガイドブックには「この廟にはハドリアヌスからセプティミウス・セウェルスまでのローマ皇帝が埋葬されている」と書かれており、そうすると以下の皇帝たちが埋葬されたのでしょうか?

 ハドリアヌス(117年 - 138年)、アントニヌス・ピウス(138年 - 161年)、マルクス・アウレリウス・アントニヌス(161年 - 180年)、ルキウス・ウェルス(161年 - 169年)、コンモドゥス(180年 - 193年)、ペルティナクス(193年)、ディディウス・ユリアヌス(193年)、ペスケンニウス・ニゲル(193年)、クロディウス・アルビヌス(193年)、セプティミウス・セウェルス(193年 - 211年)。

 サンタンジェロ城はその後も要塞、牢獄、避難所として使うために改造されてしまい、ローマ皇帝のお墓はもう無いようです。

 この城は内部の構造が複雑で、オリエンテーションが付かないまま適当に回るしかありませんでした。
 宮殿風の部屋もありましたが、内部は撮影禁止。
 
サンタンジェロ城内 聖天使像を見上げて


 さすが要塞だっただけあって、石落としに銃眼、積み上げられた砲丸など、物々しい雰囲気に圧倒されます。

回廊 狭い通路を行くと
石落としに銃眼 積み上げられた砲丸


 福原信夫先生の『ヨーロッパ音楽旅行案内』には、「中庭の一隅に石の弾丸をはねる鉄製の大きな弓状の武器があり、その上の広場の石畳の一隅に牢獄の入口がある」と書かれています。

 だとすると、下の写真がカヴァラドッシが囚えられ、『星も光ぬ』を歌った牢獄への入口でしょうか?
 ファルネーゼ宮殿でスカルピアを刺し殺したトスカは、カヴァラドッシに逢うためにこの階段を駆け下りたのですね。

 残念ながら牢獄への入口は閉鎖されていました。
 
中庭の一隅に石の弾丸をはねる 鉄製の大きな弓状の武器があり
上の広場の石畳の一隅に 牢獄(?)の入口がある


 では、いよいよ《トスカ》のクライマックスである、サンタンジェロ城の屋上に上がってみましょう。
 
 
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