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聖ピエトロ大聖堂からテヴェレ川にかかるヴィットリオ・エマヌエーレ2世橋に戻り、サンタンジェロ城を眺めます。 今日は昨日とは異なり晴天で嬉しくなってしまいます。 いくらでも芸術写真が撮れる感じ (^_^) 。
テヴェレ川沿いにサンタンジェロ橋まで移動し、写真を撮ってから橋を渡ります。 昨日の大混雑が嘘みたいです。
サンタンジェロ城正面の入口から入り、カッサでチケットを買います。 いよいよ《トスカ》第三幕の舞台を見ることが出来るのかと胸が高鳴ります。
サンタンジェロ城は135年、ハドリアヌス帝が自らの霊廟として建設を始め、139年アントニヌス・ピウス帝の時代に完成されました。 ガイドブックには「この廟にはハドリアヌスからセプティミウス・セウェルスまでのローマ皇帝が埋葬されている」と書かれており、そうすると以下の皇帝たちが埋葬されたのでしょうか? ハドリアヌス(117年 - 138年)、アントニヌス・ピウス(138年 - 161年)、マルクス・アウレリウス・アントニヌス(161年 - 180年)、ルキウス・ウェルス(161年 - 169年)、コンモドゥス(180年 - 193年)、ペルティナクス(193年)、ディディウス・ユリアヌス(193年)、ペスケンニウス・ニゲル(193年)、クロディウス・アルビヌス(193年)、セプティミウス・セウェルス(193年 - 211年)。 サンタンジェロ城はその後も要塞、牢獄、避難所として使うために改造されてしまい、ローマ皇帝のお墓はもう無いようです。 この城は内部の構造が複雑で、オリエンテーションが付かないまま適当に回るしかありませんでした。 宮殿風の部屋もありましたが、内部は撮影禁止。
さすが要塞だっただけあって、石落としに銃眼、積み上げられた砲丸など、物々しい雰囲気に圧倒されます。
福原信夫先生の『ヨーロッパ音楽旅行案内』には、「中庭の一隅に石の弾丸をはねる鉄製の大きな弓状の武器があり、その上の広場の石畳の一隅に牢獄の入口がある」と書かれています。 だとすると、下の写真がカヴァラドッシが囚えられ、『星も光ぬ』を歌った牢獄への入口でしょうか? ファルネーゼ宮殿でスカルピアを刺し殺したトスカは、カヴァラドッシに逢うためにこの階段を駆け下りたのですね。 残念ながら牢獄への入口は閉鎖されていました。
では、いよいよ《トスカ》のクライマックスである、サンタンジェロ城の屋上に上がってみましょう。 |