『パリ お墓とオペラの旅』 2011年5月1日(日)
19)サン=サーンスの墓、セザール・フランクの墓(モンパルナス墓地)
  
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 続きましてカミーユ・サン=サーンスの墓(1835〜1921)。
 サン=サーンスの墓は歩道から中に入っており、探すのは大変でした。
 『パリの墓地』には写真が載っているのですが、似たような聖堂型のお墓がいっぱいあって‥‥。

 でも、何とか見つけることが出来ました (^_^) 。
 この墓はサン=サーンス一族の墓のようでしたが、中は空洞で壁にプレートが貼られていました。
 サン=サーンスの遺体はどこにあるのでしょう?

 サン=サーンスは旅行好きで、86歳の時に旅行先のアルジェで死亡しました。
 彼の葬儀は国葬として執り行われたそうです。
 
サン=サーンス一族の墓 中は空洞
 

 次はアメリカ生まれの女優、ジーン・セバーグの墓(1938〜1979)
 フランソワーズ・サガン原作の『悲しみよこんにちは』などの映画に主演しました。

女優ジーン・セバーグの墓  


 次はアルフレッド・ドレフュスの墓(1859〜1935)。
 ユダヤ人の大尉ドレフュスに対する冤罪スパイ容疑、いわゆる「ドレフュス事件」は反ユダヤの象徴として、当時のフランスを二つに引き裂く大事件だったそうです。
 『パリの墓地』にはそのいきさつが詳しく書かれています。
 エミール・ゾラが新聞オーロールに発表した告発文「私は弾劾する」は有名です。

 ドレフュス一族の墓の上には、たくさんの石が置かれていました。

ドレフュス一族の墓 中央にアルフレッド・ドレフュス


 さて、いよいよモンパルナス墓地も出口に近づき、第26区のモーパッサンとセザール・フランクを残すだけとなりました。
 しかし歩道から中に入ったお墓を探すのは本当に難しい。
 
 第26区のすべての通路を巡る覚悟で、まず探し出したのがギー・ド・モーパッサンの墓(1850〜1893)。
 こんなに特徴的なお墓でも探すのが難しいんです。

 モーパッサンといえば『女の一生』でしょうか。
 今回の旅行ではいろいろ有名な作家のお墓に詣でましたが、その作品を読んだことは一人もありません (^_^; 。

ギー・ド・モーパッサンの墓  


 残るはセザール・フランクです。
 頭の中では『交響曲ニ短調』の第3楽章がプレストで鳴っています (^_^; 。
 
 そして、僕はとうとうセザール・フランクの墓(1822〜1890)を見つけることが出来ました。
 場所は「パリ・コミューン記念碑」に近く、下の右側の写真が、これから行かれる方のお役に立つものと信じています (^_^) 。
 
セザール・フランクの墓 「パリ・コミューン記念碑」に近い


 この日はオペラもコンサートもなかったので、ホテルのそばのスーパーで買い物をして夕食にしました。
 安上がりでしたよ (^_^; 。

墓地から見たプルマンホテル スーパーで買い物

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