ギリシャ/后妃エリザベートと古代医学の旅
12)コルフ島 『アキレイオン荘(アヒリオン)U』 2014年1月2日(木)

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 3階から中庭に出ることが出来ます。
 中庭は女神達の像に囲まれ、回廊にはホメロス、プラトン、エウリピデス、デモステネスなど、古代ギリシャの偉人達の胸像が並んでいます。
 
女神達の像に囲まれた中庭 古代ギリシャの偉人達の胸像
 
 
 中庭を降りていくと、アキレウス像のお尻が見えてきました。
 この彫像はベルリンの彫刻家エルンスト・ヘルターによる『瀕死のアキレウス』です。

 アキレウスの母テティスは、息子を不死身の体にするために、冥府を流れる川ステュクスの水に息子を頭から浸しました。
 そのとき、テティスの手はアキレウスのかかとを掴んでいたためにそこだけは水に浸からず、かかとに弱点が残りました。
 その後、トロイア戦争でここをパリスに射られてアキレウスは死に到ることになります。
 アキレス腱ですね。

 アキレイオン荘のアキレウス像には、アキレス腱に矢が刺さっていませんでした。
 ガイドブックには矢が刺さった写真が載っているので、誰かが持ち去ったようです。
 早く修復すればいいのにと思いましたよ。
 
中庭を降りていくと アキレウス像のお尻
アキレス腱に矢が刺さっていない 下からアキレイオン荘をバックに
アップ! もっとアップ!
 
 
 庭園をなおも先端まで進みますと、槍と盾を持ったアキレウス像が立っています。
 彼が見つめる先にはコルフタウンが美しく見えていました。
 
アキレウス像 後方から 前方から
彼が見つめる先には  コルフタウンが美しく見えていました


 1891年10月に完成したアキレイオン荘ですが、しかし気まぐれなエリザベートは1893年にはこの建物に飽きてしまい、売却を考えるようになりました。
 仰天したフランツ・ヨーゼフは、必死でこれを止めさせました。

 1898年9月10日(60歳)のエリザベートの死後、アキレイオン荘は長女ギーゼラに相続されましたが、住む人もなく維持費ばかりがかかるこの建物は、帝国基金に売り渡され、さらにドイツ皇帝ヴィルヘルム二世に売却されました。

※ゾフィー皇太后に育てられた長女ギーゼラは、母エリザベートから愛されない娘でした。
 エリザベートが誰よりも愛した次女マリー・ヴァレリーにはウィーンのヘルメスヴィラが遺されました。
 
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