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アレクサンドル・グラズノフ(1865年8月10日~1936年3月21日)。 享年70歳。 リムスキー・コルサコフの弟子にして、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィッチの師。 リムスキー・コルサコフの後を継いで、ペテルブルク音楽院の院長を務めました。 作品としては、バレエ音楽《ライモンダ》と《四季》。 「ヴァイオリン協奏曲」はヤッシャ・ハイフェッツが好んで演奏しました。 ロシア革命後にパリに移り、パリで死亡しました。 パリで客死したグラズノフの墓がどうしてチフヴィン墓地にあるのか、調べてみましたが、よく分かりませんでした。
アナトーリ・リャードフ(1855年5月11日~1914年8月28日。 享年59歳。 父親のコンスタンティン・リャードフはマリインスキー劇場の初代首席指揮者を務めました。 ペテルブルク音楽院に進み、「五人組」と親交を持ちました。 代表作は管弦楽曲『ババ・ヤーガ』、『キキモラ』。 晩年の夏はノヴゴロド地方の別荘に暮らし、1914年にこの地で死亡しました。 下右の写真は、手前からリャードフ、アントン・ルビンシュタイン、チャイコフスキーです。
マリウス・プティパ(1818年3月11日~1910年7月14日)。 マルセイユ生まれのフランス人振り付け師。 1847年より、マリインスキー劇場にてプリンシパル・ダンサー、後に振り付け師として活躍。 晩年はクリミア半島のグルズフで療養にあたりました。 代表作品は『眠れる森の美女』(1890年)、『くるみ割り人形』(1892年)。 ボリショイ劇場での初演(1877年)が不評で終わった『白鳥の湖』を、チャイコフスキーの死後にマリインスキー劇場で再演(1895年)し、大成功を収めました。 これでチフヴィン墓地の音楽家のお墓はおしまいです。 こぢんまりとした、回りやすい墓地でした。 カフェからタクシーに乗り、リムスキーコルサコフの家に向かいます。
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