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タクシーに乗って、次はリムスキー=コルサコフの家です。 入口を入ると母親に連れられた子どもたちがいっぱいいました (@o@)。 ガイドさんの話では、ロシアは幼児の音楽教育に力を入れていて、このような子どものための音楽教室(無料)がたくさんあるのだそうです。 その中で優秀な人材を発掘していくわけですね。
2階に上がると、豪華なリムスキー=コルサコフの部屋が再現されていました。 リムスキー=コルサコフ(1844年3月18日~1908年6月21日)は、1893年から死ぬまでの15年をこの家で過ごしました。 交響組曲『シェヘラザード』が作曲されたのは1888年ですから、この家に引っ越す前に作曲されているんですね。 《サトコ》(1898年)、《モーツァルトとサリエリ》(1898年)、《皇帝サルタンの物語》(1900年)、《金鶏》(1909年)などのオペラがこの家で作曲されたようです。
リムスキー=コルサコフは1871年、ペテルブルク音楽院の作曲と管弦楽法の教授に任命され、グラズノフ、ストラヴィンスキー、リャードフ、アレンスキー、プロコフィエフらを育てました。 これらの有名な作曲家達がこの家を訪れ、展示されているピアノを弾き、小ホールで室内楽を楽しんだのですね。 後年リムスキー=コルサコフは反政府的な立場を取るようになり、ペテルブルグ音楽院の職を解雇され、オペラ《金鶏》は彼の生存中に上演されることはありませんでしたが、それでも立派な家に住んでいたのだな、と安心しました。 晩年のリムスキー=コルサコフは喘息と狭心症を病み、1908年6月7日に、ペテルブルグ郊外リューベンスクの別荘で死亡しました。 64歳と3ヶ月でした。 遺体はアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフヴィン墓地、ムソルグスキーの墓のとなりに埋葬されました。 |