軽井沢 & 佐久(2) 軽井沢駅舎記念館・草軽電鉄
2004年9月12日
(日)/南木佳士の旅

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 軽井沢駅の前に「軽井沢駅舎記念館」が建っています。
 信越本線の軽井沢駅を記念館にしたもので、信越本線や草軽電鉄についての展示がされています。
 記念館の前に置かれているのが草軽電鉄(くさかるでんてつ)の電気機関車デキ12です。
 草軽電鉄は大正4(1915)年7月に、草津軽便鉄道として新軽井沢〜小瀬温泉10.0キロが開業。
 大正15年9月に草津温泉までが完成しました。

 浅間山の裾を回って嬬恋から万座温泉口、草津温泉へと至る遊覧電車として、また硫黄や高原野菜の輸送に活躍したのですが、昭和20年に国鉄長野原線(現JR吾妻線)が開通すると乗客数が減少し、また台風による被害も受け経営が悪化し、昭和37年1月31日に廃止となりました。
 しかし、今でも鉄道ファンや廃線ファンの人気を集めています。

(旧)軽井沢駅舎記念館 電気機関車デキ12


 草軽電鉄は南木佳士の故郷である嬬恋三原を通っていました。
 彼は小説『エチオピアからの手紙』で「生まれ育った家のすぐ下を走っていた電車」と書いています。

 南木佳士の祖父はこの機関車の運転士でした。
 産業の少ないこの地方ではエリートだったのでしょう。

 祖父が祖母とは暮らさず別の女と暮らしていた事情については『エチオピアからの手紙』に書かれていますが、ドラマティックすぎて、事実なのかフィクションなのか判断できない部分もあります。
 その祖父は南木佳士が生まれたときには結核のため死亡していたそうですが、『ダイヤモンドダスト』に主人公の父親としてその姿が投影されています。
 
 
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