太宰治の『津軽』を巡る(6) 小泊 小説「津軽」の像記念館 2006年8月14日(月) |
![]() 竜飛から津軽半島の西海岸を下り、小泊へ向かいます。 太宰は竜飛から青森へ戻り、最後に小泊を訪れましたが、順番が逆になるのはやむを得ないでしょうか。 小説『津軽』のクライマックスが、幼年時代の子守りで育ての親ともいうべき越野たけさんとの30年ぶりの再会であることは言うまでもありません。 太宰が「たけ」との再会を果たした国民学校の運動場のそばに、小説「津軽」の像記念館が建っています。 館内では越野たけさんのビデオが流されており、太宰と会ったのは10分くらいだったそうです。 そして近所の奥さん数人が一緒にいたそうです。 これには驚きました。 太宰と会えば小説の題材にされてしまうのではたまりません。 前に書いた本覚寺(今別)のおかみさんは全くの被害者ですが、越野たけさんもある意味では被害者でしょう。 そもそも、太宰は小説に実在の人物を登場させた上で、勝手な行動を取らせることがあり、太宰の家族は大変迷惑をしたわけです。 小説『津軽』を読んだ人はタケの太宰を思う熱い言葉に感動するわけですが、その全部が太宰が作った妄想の世界だったとはね。 『津軽』は小説だとはいえ、あんまりだと思いました。 太宰の妻、津島美知子の「回想の太宰治」によると、終戦後に太宰一家が金木に疎開していたときに、「たけ」が山源を訪ねてきたことがあるそうです。 そのとき太宰はタケに一言も掛けず匆々(そうそう)に母屋に立ち去ったそうで、「たけ」に「修治さんは心が狭いのが欠点だ」と言われたりしています。
記念館の前から、二人が再会を果たした運動場を見下ろせます。 「太宰とたけ再会の道」なる石碑が建てられていましたが、これは道案内としては全く役に立ちませんでした。 小説に「龍神様の桜でも見に行くか」と書かれた龍神宮へは、途中から自転車に乗ったおじいさんに案内してもらいました。 感謝感謝。 しかしながら龍神宮は新しい建物で、桜の木は見当たりませんでした。 移転したのでしょうか?
小泊の町の中に、たけの嫁ぎ先である越野金物店はありました。 ここから運動場まではかなりの距離があり、この距離を太宰が2往復したことは、太宰のたけに会いたい気持ちが生半可なものではないことの証明でしょう。
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