太宰治の『津軽』を巡る(11) 弘前(1) 2006年8月15日(火) |
![]() 弘前で見るべき所は、まずは弘前城。 太宰治は弘前高等学校の文科に三年在籍し、義太夫に熱中したそうです。 太宰治は小説『津軽』で、「天守閣広場から岩木山を眺めたとき、脚下に夢の町がひっそりと展開しているのに気がつき、ぞっとした事がある」と書き、息をひそめてひっそりうずくまっていた町「隠沼(こもりぬ)」と表現しています。 しかし、この日は広大な弘前公園を回るには暑すぎた。 弘前城については2003年のレポートを御一読下さい。 ということで、弘前城以外の弘前観光です。 まずは弘前東照宮。 2代藩主信枚が家康を祀る東照宮を元和3年(4617)に勧請するにあたっては、家康の養女である正室(満天姫・まてひめ)の働きが大きかった。 ところが、津軽藩3代目は側室辰姫の子供(信義)が継ぐことになるり、この辰姫は石田三成の娘。 結局、津軽藩における関ヶ原の戦いは、石田方の勝利に終わったようです。
次は津軽藩菩提寺の長勝寺です。 長勝寺の前には禅林三十三カ寺として寺院が建ち並んでいます。 長勝寺は工事中で、津軽家霊屋はひどい状態になっていました。
最勝院五重塔は、寛文7年(1667)建立された、日本最北の五重塔で、国重要文化財に指定されています。
あとは土手町をブラブラしてみましょうか。 地方都市によく見られる中心街の空洞化で、閉店した店が多いようです。
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