甲府城 &岩殿城(大月市)  09年7月19日(日)

前へ  気まぐれ日本紀行09  ホームページへ  次へ
 
 
 甲府駅前から徒歩5分で甲府城趾がありました。

 甲府城には有名城主が多く、浅野長政、平岩親吉、徳川義直(家康九男・後に名古屋城主)、徳川忠長(家光弟・後に切腹)、徳川綱重(家光三男)、徳川綱豊(綱重嫡男)。
 徳川綱豊は後の六代将軍家宣です。

 綱豊が六代将軍家宣となった後の甲府城には柳沢吉保が入り、柳沢家が大和郡山に転封の後は天領(幕府直轄地)となりました。

 甲府城趾は立派に整備されていました。
 天守閣からは富士山が見えるはずですが、この日は天候が悪かった。
 明日に期待するしかありません。
 
甲府城 展示室開館中
天守閣 天守閣から富士山方向


 今回の旅は「中央東線の旅」でもありまして、残った時間で小淵沢と大月の間を往復してみました。
 徐々に空も晴れ、山も見えてきました。

徐々に空も晴れ 山も見えてきました


 大月駅前に特徴のある岩山がありました。
 駅のパンフレットを読んでいたら、この山が憎き裏切り者、小山田信茂の岩殿城なんだそうです (@o@)。
 武田勝頼や夫人はこの城を目指して逃げてきたのですね。

大月駅前に特徴のある山が 小山田信茂の岩殿城


 3月11日の武田家滅亡後、小山田信茂は甲府善光寺に総大将織田信忠を訪ねますが、主君に仇なす不忠ものとして切腹を命じられました(3月15日)。
 その一族も処刑されたそうです。

 大月市民もイヤなお殿様を持ったものです。
 
夕食はどうしてか お好み焼き 駅前のホテルから夜の甲府駅
 
前へ  気まぐれ日本紀行09  ホームページへ  次へ