続・太宰治の『津軽』を巡る (8)鹿の子川溜池・鹿の子滝 2009年9月20日(日) |
![]() 高流に登った翌日、前日の一行(姪の陽子、そのお婿さん、アヤ)に兄夫婦も加わって、金木の東南方一里半くらいの、『鹿の子川溜池』というところに出かけました。 高流も鹿の子川溜池も金木から往復10キロ以上でしょうか。 連日の遠出に、昔の人は健脚だったなあ、と驚かずにはいられません。 やがて結核に冒されていく太宰ですが、この頃はすこぶる元気だった様子です。 金木から津軽半島を横断して陸奥湾に達する県道2号線は、2車線ながらUターンも出来ない狭い道でした。 走ること5~6キロで、右手に『鹿の子ため池』の看板があり、駐車場がありました。 さて、驚いたことに溜池には水がありませんでした (@o@)。 上流のダムで水がせき止められているのでしょうか?
この溜池が出来たのは昭和16年で、『津軽』の旅は昭和19年。 『津軽』に「溜池のほとりの大きい石碑には、兄の名前が彫り込まれていた」と書かれている石碑には、確かに津島文治の名前がありました。 彼らはここで昼食を取りました。 小学校2,3年の遠足で高山に行って荷車で帰った話が出てきたのはこの昼食の時でした。 やがて、来客の相手をしていた兄の文治も、遅れてやって来ました。 太宰が非常な圧迫感を感じていた兄文治と一緒にハイキングをしたとは、この理解し合えなかった兄弟のためにも、心和む場面です。
昼食後、彼らはなおも川を上り、滝で遊びました。 水に落ちた嫂は、「まるでもう高山帰りの姿です」と言い、みんながどっと笑いました。 鹿の子溜池からなおも2キロくらい進むと、「鹿の子滝」の掲示板がありました。 車を降り、水音がする方向に戻ると、雑木の間から滝が見えました。 とても山道を降りる元気はありませんでした (^_^ゞ。
下の写真は金木から見た岩木山です。 撮ったときは何とも思わなかったのですが、この写真は黄金色の稲穂が垂れる秋の津軽平野の代表的な写真かと思うようになりました。 わら焼きの煙もあるし (^_^) 。
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