続・太宰治の『津軽』を巡る
(7)金木 修練農場・高流 2009年9月20日(日)

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 いよいよ今回の旅行最大の目的、修練農場と高流です。
 06年の『津軽』を巡る旅行の時には修練農場の情報が得られず、高流は曇り空で岩木山を見ることが出来ませんでした。

 06年の紀行文からの引用ですが、小説『津軽』を読んだ人なら、高流に行ってみたくなるでしょう。
 太宰は姪の陽子、そのお婿さん、アヤと4人で、金木町から一里ほど東の高流と称する二百メートル足らずの小山に遊びに行ったのでした。

 そして、修練農場の入り口にある、朝香宮様、高松宮様、秩父宮様ならびに同妃宮様御成の石碑の前で岩木山を見て、「や! 富士。いいな」と叫んだのでした。

 太宰治の12歳年長の兄である津島文治は衆議院議員、参議院議員、青森県知事として活躍しました。
 そして、津島文治の娘 陽子のお婿さんは、『東北のケネディ』を名乗って、衆議院議員に12回連続当選し、農林水産大臣、防衛庁長官などを歴任した大物代議士田沢吉郎だったのです。

 太宰治と田沢吉郎が一緒に山登りしたとは、というより田沢吉郎が『津軽』に出ていたとは、本当に驚きました (@o@)。

 この時のハイキングのメンバーは、太宰は姪の陽子、その婿の田沢吉郎、そしてアヤの4人です。
 太宰は芦野公園に、田沢吉郎は田舎館村役場にと、二人が銅像になっています。
 なんだか凄いメンバーではありませんか。

 2009年にNHKで放送された「生誕100年 太宰治と故郷」というドキュメントに、姪の陽子(85歳)が出てきたのにもビックリしました。
 文学史上の人物が実在していたという驚き。

 さて、修練農場は今では弘前大学農学部附属金木農場となっているそうです。
 金木農場は金木駅の裏手にありました。 
 
津軽鉄道 金木駅 弘前大学農学部 金木農場


 金木農場には特に修練農場への案内表示はありませんでした。
 太宰治生誕百周年なのに、何とも不親切なことです。
 適当に歩いてみると、大きな石碑がありました。

 どうもこの石碑が『津軽』に書かれた「朝香宮様、高松宮様、秩父宮様ならびに同妃宮様御成」の石碑のようで「慈徳仰愈高」と書かれていました。
 石碑の前から眺めた岩木山は下の写真ですが、あまり視界が開けず、期待はずれでした。
 当然の事ながら、太宰の頃とはだいぶ周囲も変わっているのでしょう。
 
 太宰は『津軽』で「金木の人たちは、この農場を、もっともっと誇ってよい。金木だけではない。これは津軽平野の永遠の誇りであろう」とまで書いているのですから、もうちょっとしっかり管理していただきたいものです。

宮様方御成の石碑? 石碑の前から眺めた岩木山


 前にも書きましたが、06年の『津軽』を巡る旅行の時には高流は曇り空で、岩木山を見ることが出来ませんでした。
 今回の再チャレンジでは朝から曇っていた空もやっと晴れ、美しい岩木山を心ゆくまで堪能することが出来ました (^_^) 。
 ただ、この辺りは建設会社の土地になっているようで、どんどん山が削られており、将来が心配です。
 
高流(大倉山)への入口 やっと雲も晴れた岩木山
ちょっと芸術写真風 (^_^ゞ 北 権現崎方面
 
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