太宰治『人間失格』紀行(大宮) 2014年11月24日(月・祝) |
東京二期会《チャールダーシュの女王》を観劇する前に、太宰治が「人間失格」を執筆するために滞在した大宮に行ってみました。 太宰治は1948年(昭和23年)3月7日から31日まで、熱海の起雲閣別館・雲井の間に宿泊し、『人間失格』の「第二の手記」までを書き上げました。 4月には三鷹の仕事部屋で「第三の手記」に取り組みましたが、来客が多く仕事がはかどりませんでした。 筑摩書房の社長、古田晃は静かに執筆に取り組む場所として、大宮市の小野沢宅を太宰に斡旋しました。 太宰は4月29日、山崎富栄とともに大宮にやって来ました。 そして「第三の手記・二」に取り組みました。
まずは、太宰が注射に通った宇治病院です。 宇治病院は古田晃の妻の姉の嫁ぎ先で、古田はこの病院で暮らしていました。 太宰は入水自殺の前日(6月12日)に、古田に会うために宇治病院を訪ねてきました。 あいにく古田は太宰のための食料調達のために信州に出かけていて不在でした。 太宰はそのまま帰りましたが、服装は自殺したときと同じだったそうです。
宇治病院と小野沢宅の間に大西屋酒店がありました。 太宰にとっては、絶好の場所に酒店があったものです。 小野沢家では太宰の食事のために心を尽くし、太宰は健康を取り戻したかに見えました。 『人間失格』は5月12日に書き上げられました。
太宰が通った浴場「松の湯」は氷川神社の旧参道に面しており、医院となっていました。 旧参道は「平成ひろば」と呼ばれているようです。
|