関西二期会 《ナクソス島のアリアドネ》 2007年10月27日(土) 4:00PM 尼崎アルカイックホール |
![]() 《ナクソス島のアリアドネ》は僕にとって特別のオペラです。 あれは1980年8月19日、僕はザルツブルク音楽祭でこのオペラを見たんです。 この年はベームのザルツブルグにおける最後のシーズンとなった年であり、グルベローヴァが「ナクソス島のツェルビネッタ」としてセンセーションを巻き起こした年でしたが、僕がノックアウトされたのはディーター・ドルンの演出。 ロココ風の装飾で彩られたシューボックススタイル(長方形)の小ホールを巧みに利用し、第二幕では客席の我々が祝宴の客となってしまうという秀逸な演出はベームのお気に入りでしたが、この舞台で僕はオペラ演出の魅力に取り憑かれてしまったんです。 日本でもこのオペラを聴く機会が何度かあり、1998年10月11日の関西二期会公演も見ています。 その時のレポートを読んでみると、今回の演出のコンセプトも前回と違いはないようです。 「演出家の仕事というものは不思議なものです。私が伝える物語は、他の人によって書かれたものであるにもかかわらず、それを伝える新しい方法というものを常に自分で生み出していかなければならない。」 これは東京のオペラの森《タンホイザー》のプログラムに書かれたロバート・カーセンの言葉ですが、10年近い日々が経っても、松本さんはあまり新しい方法を考えていないようです。 飯守先生が指揮された関西フィルハーモニー管弦楽団第177回定期演奏会(2005年9月17日)の《ナクソス島のアリアドネ》は、ザ・シンフォニーホールの舞台に簡単なセットを組んだ、コンサートオペラ方式でしたが、こういうスタイルがこのオペラにはふさわしいような気がします。 この時のソリスト達は関西二期会のメンバーで、同じメンバーで2年後に上演するというのは、期間が短すぎるのではないかな? 執事役だった木川田 誠さんの深みのある声が懐かしいです。 リヒャルト・シュトラウス 《ナクソス島のアリアドネ》 2007年10月27日(土) 4:00PM 尼崎アルカイックホール ![]() 管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団 執事:蔵田裕行 音楽教師:片桐直樹 作曲家:西村 薫 テノール歌手/バッカス:小餅谷哲男 士官:土田景介 舞踏教師:北村敏則 かつら師:黒田まさき 下僕:神田行雄 ツェルビネッタ:佐竹しのぶ プリマドンナ/アリアドネ:雑賀美可 ハルレキン:晴 雅彦 スカラムッチョ:瀬田雅巳 トルファルディン:澤井宏仁 ブリゲルラ:相原敏明 ナヤーデ:嶋優羽 ドリャーデ:山田愛子 エコー:森原明日香 演出は1998年と同じ、演奏は2005年と同じ、ということで、あまり新鮮な気持ちでは観劇できませんでした。 松本重孝さんの演出は、巨大な舞台装置を使い、最後には全てのセットが捌けて、星空が現れるという大規模なもの。 このオペラが上演される場所はウィーンの富豪の邸宅なのですから、その前提を無視した松本演出を僕は受け入れる事が出来ません。 そもそもシュトラウスとホフマンスタールが意図したのは室内楽的オペラであり、そのため楽器編成も36人という室内オーケストラにしているのではありませんか。 松本さんはこのオペラを理解できていない演出家だと僕は判断しました。 この前提を大事にした演出としては、 名古屋尾張地域市民オペラ振興会 2006年11月17日(金)の岩田達宗さんの演出が納得できるものでした。 第1幕はオペラ上演前の、舞台裏のドタバタ。 憤慨する作曲家に、悲劇は祝宴にふさわしくないので、道化の喜劇と一緒に演じるようにとの主人の命令が下る。 第一部は登場人物が多く、松本演出はそれを上手くまとめられていないようです。 第一部の主役である作曲家役の西村薫さんは健闘していました。 音楽教師役の片桐直樹さんも良かったですね。 第2幕は邸宅で演じられるオペラ《ナクソス島のアリアドネ》。 ギリシアの孤島、ナクソス島。 夫テセウスに捨てられたアリアドネを道化師たちが慰めるが、彼女は嘆き悲しみ死を望む。 そこにバッカスが現れ、二人は恋に落ちる。 アリアドネ役の雑賀美可さんが素晴らしかった。 ツェルビネッタ役の佐竹しのぶさんも大健闘。 ザルツブルクでグルベローヴァのツェルビネッタを聴いたときには、「この曲は難しすぎて、とても日本人には歌えないだろう」と思ったものですが、日本人のオペラ上演能力は飛躍的に進歩したものです。 道化師達と3人のニンフ達のアンサンブルは、あまり感心しませんでした。 来年1月の東京公演には日曜日のキャストが出演するようですが、大丈夫でしょうか? 関西フィルハーモニーにはミスが目立ち、東京公演が心配です。 177回定期演奏会での演奏は素晴らしかったのに、レベルが退化しているのでしょうか? |