びわ湖ホールプロデュースオペラ 《ワルキューレ》
2018年3月4日(日)2:00PM

「REVIEW18」に戻る  ホームページへ
 

 びわ湖ホールプロデュースオペラ
 歌劇《ワルキューレ》
 2018年3月4日(日)2:00PM

 指揮:沼尻竜典(びわ湖ホール芸術監督)
 演出:ミヒャエル・ハンペ

 ジークムント:望月哲也
 フンディング:山下浩司
 ヴォータン:青山 貴
 ジークリンデ:田崎尚美
 ブリュンヒルデ:池田香織
 フリッカ:中島郁子
 ゲルヒルデ:基村昌代
 オルトリンデ:小川里美
 ワルトラウテ:澤村翔子
 シュヴェルトライテ:小林昌代
 ヘルムヴィーゲ:岩川亮子
 ジークルーネ:小野和歌子
 グリムゲルデ:森 季子
 ロスワイセ:平舘直子

 第一幕は紗幕に投影された吹雪で始まります。
 この紗幕が鬱陶しい。
 中央に大きなトネリコの木があるフンディングの部屋になっても、暗い舞台は見にくいし、ジークリンデ、ジークムントの声は出てこないし、紗幕を取り払って視覚的、聴覚的にスッキリして欲しいものだと思いました。

 「冬の嵐は去り」から始まる愛の二重唱では、フンディングの家は取り壊され、紗幕に花が投影され、舞台はあっという間に春の森になります。
 想像を上回る美しい舞台転換を楽しみました。

 二重唱になってジークリンデの声は出てきましたが、沼尻さんの音楽は遅くて盛り上がりに欠け、オケはおっかなびっくりでミスも目立つ。
 これほど興奮しない《ワルキューレ》第一幕は珍しい経験です。

 最後は二人は抱き合って転がりますが、ここでジークリンデは妊娠したと考えて良いのでしょうか?
 ジークリンデがいつ妊娠するように演出されるのかは、いつも興味があります。

 僕は昨年の《ラインの黄金》でエルダからヴォータンに渡されたノートゥンクに注目していまして、開幕すぐにトネリコの木に刺さったノートゥンクを発見しました。
 しかし、ジークリンデやジークムントがノートゥンクについて歌っても、舞台では何も起こりません。
 ジークムントが「あのトネリコの幹から閃く光は何だ?」と歌っているのに、ノートゥンク自身が光ることは無く、スポットライトが当たることもありません。
 トネリコの横の方が光っていたような。

 クライマックスのジークムントがノートゥンクを引き抜く場面でも、ジークムントだけにスポットライトが当たりノートゥンクには当たらないので、あれでは暗闇で何をしているか分かりませんよ。

 ワーグナー最高の音楽である第一幕がこれでは、退屈な(と考えている)第二幕は耐えるしか無い覚悟です。
 ところが、この第二幕は素晴らしかった。
 ヴォータン、フリッカ、ブリュンヒルデの声がビンビンと飛んできます。
 第一幕で感じた声の不満は、紗幕のせいでは無かったのですね。

 幕を下ろしての舞台転換があり、ワルハラ城内からジークムントとジークリンデの逃避行の荒野となります。
 広々とした荒野の背景には山があり、雲が流れています。
 この雲が濃くなったり薄くなったり霧が出てきたり。
 ジークムントとフンディングの決闘ではいつの間にか暗闇となり、実に見事なものだと思いました。
 
 ヴォータンの「往け!」で、フンディングが稲妻に撃たれたのは良かった。
 バタリと倒れるだけの演出を見てきましたからね。

 第三幕の岩山は天狗の鼻のように飛び出しています。
 高所恐怖症の方には、気の毒な舞台です。
 カスパー・ダヴィッド・フリードリッヒの絵画を思い出しました。

 主役級のメンバーが並んだワルキューレたちは実に強力。
 演技も自然で立派なものでした。
 空に白い布が飛んでいて不思議でしたが、アップになると天馬に乗ったワルキューレ達でした。
 観客サービスでしょうか?

 ヴォータンとブリュンヒルデの二重唱も立派なもので、長丁場のセリフを暗記して、メロディを暗譜して、朗々と歌い続ける青山 貴さんは超人かと思いました。
 「ヴォータンの別れ」でちょっとピンチはありましたが、見事に最後まで歌い切られました。

 「魔の炎の音楽」では背景と紗幕に投影された炎が舞台いっぱいに燃え上がり、ブリュンヒルデが横たわる岩山を囲みます。
 沼尻さんの遅いテンポもここでは有効に働き、視覚的にも聴覚的にも満足がいくフィナーレとなっていました。
 写真は公式HPからお借りしました。

 びわ湖ホールにおけるハンペの演出はワーグナーが夢見た場面を最新の舞台技術で現実化することを目指しています。
 《さまよえるオランダ人》ではオランダ人の船を沈め、《ラインの黄金》では虹の橋を出しましたが、そこまでで止まってしまい、プラスαに欠けるような気がしていました。
 しかし今回の《ワルキューレ》では、びわ湖ホールの舞台機能を総動員して、ワーグナーの想像以上の舞台を見せていただけたような気がします。